五常訓 / 巻之四・義
一見善則遷、有過則改。此二句、易の益の卦の文なり。我が行ふ處惡しからざれども、人のいふ事、人の行ふ處、わが行ふ處より、まさりて善なるを見ば、卽我が行へる事をば捨てゝ、少しなりとも優れる方に遷るべし。是を、善を見て卽うつると云ふ。いまだ善き事と知らずば、すべきやう無し。旣にすべき義と知りて行はざるは、力も無きことなり。是義を見てせざるは勇なき也。過あれば則改むとは、我が行あやまりあらば、卽時に早く改むべし。猶豫して、我がひが事をかざり、改むるに憚ることなかれ。義を見て遷るは、其工夫かろくして易し。過を改むるは、其工夫おもくして難し。十分に力を用ふべし。たとへばうす白き物を潔白にするは易し。黑き物を白くする事は難きが如し。此二は、卽義にうつる道なり。是學問の道のつとむべき處、力行の要なり。
新字:一見善則遷、有過則改。此二句、易の益の卦の文なり。我が行ふ処悪しからざれども、人のいふ事、人の行ふ処、わが行ふ処より、まさりて善なるを見ば、即我が行へる事をば捨てゝ、少しなりとも優れる方に遷るべし。是を、善を見て即うつると云ふ。いまだ善き事と知らずば、すべきやう無し。既にすべき義と知りて行はざるは、力も無きことなり。是義を見てせざるは勇なき也。過あれば則改むとは、我が行あやまりあらば、即時に早く改むべし。猶予して、我がひが事をかざり、改むるに憚ることなかれ。義を見て遷るは、其工夫かろくして易し。過を改むるは、其工夫おもくして難し。十分に力を用ふべし。たとへばうす白き物を潔白にするは易し。黒き物を白くする事は難きが如し。此二は、即義にうつる道なり。是学問の道のつとむべき処、力行の要なり。
書き下し
一善を見ては則ち遷り、過有れば則ち改む。此二句、易の益の卦の文なり。我が行ふ処悪しからざれども、人のいふ事、人の行ふ処、わが行ふ処より、まさりて善なるを見ば、即我が行へる事をば捨てて、少しなりとも優れる方に遷るべし。是を、善を見て即うつると云ふ。いまだ善き事と知らずば、すべきやう無し。既にすべき義と知りて行はざるは、力も無きことなり。是義を見てせざるは勇なき也。過あれば則改むとは、我が行あやまりあらば、即時に早く改むべし。猶予して、我がひが事をかざり、改むるに憚ることなかれ。義を見て遷るは、其工夫かろくして易し。過を改むるは、其工夫おもくして難し。十分に力を用ふべし。たとへばうす白き物を潔白にするは易し。黒き物を白くする事は難きが如し。此二は、即義にうつる道なり。是学問の道のつとむべき処、力行の要なり。
現代語訳
「善を見ればそれに遷り、過ちがあれば改める」。この二句は『易』の益の卦の文です。自分の行うことが悪くなくても、人のいうこと、人の行うことが、自分の行うことよりまさって善いのを見たならば、すぐに自分の行っていたことを捨てて、少しでもすぐれた方に遷るべきです。これを、善を見てすぐに遷るといいます。まだ善いことと知らなければ、しようがありません。すでにすべき義と知っていて行わないのは、どうしようもないことです。これは「義を見てせざるは勇なきなり」です。過ちがあれば改めるとは、自分の行いに誤りがあれば、即座に早く改めるべきだということです。ぐずぐずして自分の誤りを飾り、改めるのをためらってはなりません。義を見て遷るのは、その工夫が軽くて易しいものです。過ちを改めるのは、その工夫が重くて難しいものです。十分に力を用いるべきです。たとえば薄白い物を真っ白にするのは易しく、黒い物を白くするのは難しいようなものです。この二つは、すなわち義に遷る道です。これは学問の道の努めるべきところで、力行の要です。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『五常訓』巻之四・義一子路問へり、君子は勇をたふとぶやと。子路は勇をこのむ人なれば、かくは問へり。孔子こたへて曰、君子は義をたふとぶ。位ある君子、もし勇のみありて義なければ、其力にまかせて反逆をなし、乱をおこす。位なく賤しき小人、もし勇のみにして義なければ、其力あるをたのみて、盗賊をなす。凡勇は、気に力ありて、人をおそれざるを云ふ。力を恃みて義無ければ、かくの如し。義は事の主なり。義を以て事を行へば、其事正し。義なくして事を行へば、其事皆邪なり。勇はまことに善をなすべき力なり。義を以て勇を行へば、其勇貴ぶべし。治世には、其力を以て善をなし、乱世には、其力を以て、武を行ひ、敵をうち、乱をしづむ。是皆義を以て勇を行ふ徳なり。まことに貴ぶべし。もし義なくして勇を用ふれば、かへりて道にそむき、物を害す。たとへば刀を以て敵をきり、悪人を殺すは義なり。刀を以て罪なき人をきるは、暴悪と狂乱となり。
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『慎思録』巻之五中華の俗、振古君を諫めて命を致す者、相踵ぎて絶えず。刀鋸前に在り、鼎鑊後に在りと雖も、敢へて其の死を畏れざる者は、何ぞや。其の俗義を尚び、且つ文学有りて、諫諍の方を知ればなり。本邦の俗、古来戦死を軽んずる者多し。鋒鏑羅列し、元を喪ふこと須臾に在りと雖も、敢へて其の身を惜しまざる者は、何ぞや。其の俗勇を好みて、名節を尚べばなり。倭漢気概を尚びて、其の死を惜しまざることは同じくして、死する所の地の異なる者は、他無し。俗尚の義を好みて学有ると、勇を好みて気を尚ぶとの同じからざるに因るなり。
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『文武訓』武訓上一事の行ひて宜しききはを思ひきり、いさみてよくつとむれば、義行はれてあやまりなく後悔なし。かかる事のさかひのきはを、心おこたりゆるびてつとめざれば、不義となりおくれとなり、後悔すれどもかひなし。是義を見てせざるは勇なきなり。
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論語・陽貨篇子曰く、唯だ上知と下愚とは移らざるなり。
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『武士道』第四章 勇・敢爲堅忍の精神・義を為すは勇なり勇もし義に由らずんば、即ち徳たるに値ひせず。孔子は論語にて、其常とする、消極よりして勇の定義を下し、『義を見て為さざるは勇無きなり』と説きしが、之を積極に換言すれば、則ち『義を為すは勇なり』となる。危を求め、命を殆くし、死の口に馳する事、人の或は之を以て勇に擬するあり。武人の如きは、誤つてシェイクスピアの所謂『庶出の勇』たる、暴虎憑河、死して悔いざる者を賛すと雖、ひとり武士道は然らず、死すべからずして死するを犬死と賤めたり。水戸の義公はプラトーの名さへ耳にせざりき。されば此哲人が勇を称して、『恐るべきものと、恐るべからざるものとを弁識することなり』と云へるが如きは、固より之を学びたること無し。然るに義公は曰へり、『戦に臨んで身を捨つること難からず、田夫野人と雖、之を能くす。
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論語・陽貨篇子路曰く、「君子は勇を尚ぶか。」子曰く、「君子は義以て上と為す。君子勇有りて義無ければ乱を為し、小人勇有りて義無ければ盗を為す。」
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