言志四録 / 南洲手抄
歴代帝王、除唐虞外、無眞禪讓。商周已下、秦漢至於今、凡二十二史、皆以武開國、以文治之。因知、武猶質、文則其毛彩、虎豹犬羊之所以分也。今之文士、其可忘武事乎。
新字:歴代帝王、除唐虞外、無真禅譲。商周已下、秦漢至於今、凡二十二史、皆以武開国、以文治之。因知、武猶質、文則其毛彩、虎豹犬羊之所以分也。今之文士、其可忘武事乎。
書き下し
歴代の帝王、唐虞を除く外、真の禅譲なし。商周已下秦漢より今に至るまで、凡そ二十二史、皆武を以て国を開き、文を以て之を治む。因つて知る、武は猶質のごとく、文は則ち其の毛彩にして、虎豹犬羊の分るる所以なるを。今の文士、其れ武事を忘る可けんや。
現代語訳
歴代の帝王で、尭・舜の時代を除けば、真の平和的な政権譲渡(禅譲)はなかった。殷・周以下、秦・漢から今に至るまで、およそ二十二の正史を見れば、みな武力で国を開き、文治で国を治めている。ここから分かる——武は「質(本体・地)」のようなもの、文はその「毛彩(模様・彩り)」であり、虎や豹が犬や羊と分かれる(強く見えるか否かの)ゆえんなのだ、と。今の文人たちよ、どうして武事を忘れてよかろうか。
解説
文と武の関係を、歴史全体を見渡して論じた一条です。堯舜の禅譲を除けば、歴代王朝はみな武力で建国し、文治で維持してきた——この史実から一斎は、武を「質(本体・地)」、文を「毛彩(彩り・模様)」と位置づけます。虎豹が犬羊と違って見えるのは、地としての強さ(武)があってこそ彩り(文)が映える、というのです。学問(文)に偏りがちな当時の文人へ、武(実行力・胆力・現実対応)を忘れるなと戒めます。知識や理論に偏り、実行力や胆力を軽んじがちな現代にも通じる警句。文と武、知と実行の両輪の大切さを説く一条です。
この章句が説くこと
文と武文質実行力歴史
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