言志四録 / 南洲手抄
講説聖賢、而不能躬之、謂之口頭聖賢、吾聞之一惕然。論辯道學、而不能體之、謂之紙上道學、吾聞之再惕然。
新字:講説聖賢、而不能躬之、謂之口頭聖賢、吾聞之一惕然。論弁道学、而不能体之、謂之紙上道学、吾聞之再惕然。
書き下し
聖賢を講説して之を躬にする能はず、之を口頭聖賢と謂ふ、吾れ之を聞いて一たび惕然たり。道学を論弁して之を体する能はず、之を紙上道学と謂ふ、吾れ之を聞いて再び惕然たり。
現代語訳
聖人賢人を口では立派に説くのに、自分では実践できない。これを「口先だけの聖賢」という。私はこの言葉を聞いて、一度どきりとした。道徳の学問を弁じ立てるのに、自分では体現できない。これを「紙の上だけの道学」という。私はこれを聞いて、二度どきりとした。
解説
学問が口先・紙上で終わる危うさを、自戒として語った一条です。聖賢の道を雄弁に語れても実践が伴わなければ「口頭聖賢」、道徳論を論じても身につかなければ「紙上道学」。手厳しい言葉ですが、注目すべきは、一斎自身が「聞いて一たび、再び惕然(どきりと)とした」と告白している点です。碩学と仰がれた一斎ですら、他人事ではなく我が身を刺す言葉として受け止めた。学びを語ることと生きることの乖離は、教える者ほど陥りやすい。知識を発信する立場の人にこそ、鋭く突き刺さる一条です。
この章句が説くこと
口頭聖賢紙上道学言行一致自戒
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