言志四録 / 南洲手抄
聖人安死。賢人分死。常人恐死。
書き下し
聖人は死を安んず。賢人は死を分とす。常人は死を恐る。
現代語訳
聖人は死を安らかに受け入れる。賢人は死を当然の分(さだめ)として引き受ける。普通の人は死を恐れる。
解説
死に対する態度を三段階で示した一条です。聖人は死を昼夜の移ろいのように安んじて受け入れ、賢人は「これが人の分だ」と当然のものとして引き受け、常人はただ恐れる。ここでも現実的な目標は「賢人」の姿——死を特別視して恐れるのでなく、生の必然的な一部として静かに引き受ける態度です。死をどう見るかは、そのまま生をどう生きるかに直結します。西郷隆盛が抄録に含めたこの生死観は、後続の二十・二十一番でさらに深く展開されていきます。
この章句が説くこと
生死観死を安んず分覚悟
関連する章句
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