顔氏家訓 / 風操
齊朝士子、皆呼祖僕射爲祖公、全不嫌有所涉也、乃有對面以相戲者。
新字:斉朝士子、皆呼祖僕射為祖公、全不嫌有所渉也、乃有対面以相戯者。
書き下し
斉朝の士子は、皆な祖僕射を呼びて祖公と為す。全く渉る所有るを嫌わず。乃ち面に対して以て相い戯るる者有り。
現代語訳
北斉の士人たちは、みな祖僕射を「祖公」と呼んだ。それが「祖父」の意に通じることを、まったく気にしなかった。それどころか、面と向かってそれをからかいの種にする者までいた。
解説
祖という姓の高官を「祖公」と呼ぶ。江南の感覚では「祖父」の意味に通じるので避けるべきところですが、北斉ではまったく気にせず、それどころか本人の前でからかいの種にした。顔之推はこれを批判的な調子で記しています。しかし読み方を変えれば、南朝の避諱の細かさが、北朝では通用しなかったという記録でもあります。ある文化圏で重大な失礼が、別の文化圏では冗談として流通する。どちらが正しいかを決める前に、自分の常識が通じない場所があると知っておくこと。国や業界をまたいで仕事をするとき、自分が無自覚に踏んでいる線と、相手が気にしていない線の両方があります。
この章句が説くこと
祖僕射を祖公と呼ぶ渉る所を嫌わず面に対して相い戯る文化圏の差敬意
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