顔氏家訓 / 風操
昔司馬長卿慕藺相如、故名相如、顧元嘆慕蔡邕、故名雍、而後漢有朱倀字孫卿、許暹字顔回、梁世有庾晏嬰、祖孫登、連古人姓爲名字、亦鄙事也。
新字:昔司馬長卿慕藺相如、故名相如、顧元嘆慕蔡邕、故名雍、而後漢有朱倀字孫卿、許暹字顔回、梁世有庾晏嬰、祖孫登、連古人姓為名字、亦鄙事也。
書き下し
昔司馬長卿は藺相如を慕う。故に相如と名づく。顧元嘆は蔡邕を慕う。故に雍と名づく。而るに後漢に朱倀の字は孫卿、許暹の字は顔回有り。梁世に庾晏嬰・祖孫登有り。古人の姓を連ねて名字と為すは、亦た鄙しき事なり。
現代語訳
昔、司馬長卿は藺相如を慕った。だから名を相如とした。顧元嘆は蔡邕を慕った。だから名を雍とした。ところが後漢には朱倀という人が字を孫卿とし、許暹という人が字を顔回とした例がある。梁の世には庾晏嬰、祖孫登という人がいた。古人の姓まで続けて自分の名や字とするのは、卑しいことである。
解説
敬慕の表し方の限度についての一段です。司馬相如や顧雍は、慕う相手の名の一部だけを取った。それは許される。しかし姓まで丸ごと取って「顔回」「晏嬰」「孫卿」と名乗るのは卑しい、と顔之推は言います。線引きは、影響を受けたことを示すのか、その人そのものになろうとするのかにあります。姓まで取るのは、他人の看板を借りる行為に近い。学びの表明としてはやりすぎです。企業やブランドが尊敬する先人や他社に寄せた名前を付けるときも、同じ境目があります。敬意の表明として通るところまでか、看板を借りたところまで行っているか。前者は評価され、後者は軽く見られます。
この章句が説くこと
司馬相如古人の姓を連ぬ鄙しき事敬意と模倣の境
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