顔氏家訓 / 文章
吳均集有破鏡賦。昔者、邑號朝歌、顏淵不舍、里名勝母、曾子斂襟:蓋忌夫惡名之傷實也。破鏡乃凶逆之獸、事見漢書、為文幸避此名也。比世往往見有和人詩者、題云敬同、孝經云:「資於事父以事君而敬同。」不可輕言也。
新字:吳均集有破鏡賦。昔者、邑号朝歌、顏淵不舎、里名勝母、曽子斂襟:蓋忌夫悪名之傷実也。破鏡乃凶逆之獣、事見漢書、為文幸避此名也。比世往往見有和人詩者、題云敬同、孝経云:「資於事父以事君而敬同。」不可軽言也。
書き下し
呉均の集に破鏡の賦有り。昔者、邑を朝歌と号すれば、顔淵舎らず。里を勝母と名づくれば、曾子襟を斂む。蓋し夫の悪名の実を傷つくるを忌めばなり。破鏡は乃ち凶逆の獣なり。事は漢書に見ゆ。文を為るには幸わくは此の名を避くべし。比世往往に人の詩に和する者有るを見るに、題して敬同と云う。孝経に云う、「父に事うるに資りて以て君に事うれば敬は同じ」と。軽々しく言うべからざるなり。
現代語訳
呉均の文集に「破鏡賦」がある。昔、町の名が朝歌といえば顔淵はそこに泊まらず、村の名が勝母といえば曾子は襟を正して通り過ぎた。悪い名が実を損なうことを忌んだのである。破鏡とは、親を食う凶悪な獣のことで、その記述は『漢書』に見える。文章を書くにあたっては、どうかこの名を避けるべきである。近ごろしばしば人の詩に唱和する者が、題に「敬同」と書くのを見る。『孝経』に「父に仕える心を用いて君に仕えるので、敬は同じである」とある。軽々しく使ってよい言葉ではない。
解説
言葉の来歴を知らずに使うことの危険を、二つの例で示しています。「破鏡」は割れた鏡の意で美しく響きますが、『漢書』では親を食う獣の名です。「敬同」は唱和の題として使われていますが、『孝経』では父と君への敬意が等しいという文脈の語です。どちらも、字面の印象と来歴が食い違っている。顔淵が朝歌の町に泊まらず、曾子が勝母という村を避けたという故事を先に置くことで、名前が実を損なうという原則を立てています。商品名やプロジェクト名を決めるとき、語感だけで選ぶと、来歴を知る人には別の意味に見えることがあります。
この章句が説くこと
邑を朝歌と号す里を勝母と名づく破鏡は凶逆の獣名の来歴
関連する章句
-
『顔氏家訓』文章古より宏才博学にして、事を用いて誤る者有り。百家の雑説、或いは同じからざる有り。書儻し湮滅して、後人見ざれば、故に未だ敢えて軽々しく之を議せず。今指して決して紕繆なるを知る者は、略ぼ一両端を挙げて以て誡めと為す。詩に云う、「鷕たる有り雉鳴く」と。又た曰く、「雉鳴きて其の牡を求む」と。毛伝にも亦た曰く、「鷕は雌雉の声なり」と。又た云う、「雉の朝に雊くは、尚お其の雌を求む」と。鄭玄の月令に注するにも亦た云う、「雊は雄雉の鳴くなり」と。潘岳の賦に曰く、「雉は鷕鷕として以て朝に雊く」と。是れ則ち其の雄雌を混雑せり。
-
『顔氏家訓』文章梁世の費旭の詩に云う、「是なるか非なるかを知らず」と。殷澐の詩に云う、「颻颺たり雲母の舟」と。簡文曰く、「旭は既に其の父を識らず、澐は又た其の母を颻颺す」と。此れ悉く古事なりと雖も、用うべからざるなり。世人或いは文章に詩の「鼓を伐つこと淵淵たり」を引く者有り。宋書に已に屢游の誚り有り。此くの如きの流比は、幸わくは須らく之を避くべし。北面して親に事えながら、舅に別れて渭陽の詠を摛べ、堂上に老を養いながら、兄を送りて桓山の悲しみを賦するは、皆な大失なり。此の一隅を挙ぐ。途に触れて宜しく慎むべし。
-
『顔氏家訓』文章陳思王の武帝の誄は、遂に永蟄の思いを深くす。潘岳の悼亡の賦は、乃ち手沢の遺を愴む。是れ父を虫に方え、婦を考に匹するなり。蔡邕の楊秉の碑に云う、「大麓の重きを統ぶ」と。潘尼の盧景宣に贈る詩に云う、「九五は龍飛を思う」と。孫楚の王驃騎の誄に云う、「奄忽として登遐す」と。陸機の父の誄に云う、「億兆心を宅んじ、百揆を敦敘す」と。姊の誄に云う、「天の和に俔たり」と。今此の言を為さば、則ち朝廷の罪人なり。王粲の楊徳祖に贈る詩に云う、「我が君之を餞す。其の楽しみ泄泄たり」と。妄りに人の子に施すべからず。況んや儲君をや。
-
『顔氏家訓』風操周公は子に名づけて禽と曰い、孔子は児に名づけて鯉と曰う。止だ其の身に在れば、自ずから禁ずる無かるべし。衛侯・魏公子・楚太子の若きに至りては、皆な蟣蝨と名づけ、長卿は犬子と名づけ、王修は狗子と名づく。上に連及する有り、理未だ通と為さず。古の行う所、今の笑う所なり。北土には多く児に名づけて驢駒・豚子と為す者有り。其れをして自ら称し及び兄弟の名づくる所たらしむるは、亦た何ぞ忍びんや。前漢に尹翁帰有り、後漢に鄭翁帰有り、梁家にも亦た孔翁帰有り。又た顧翁寵有り、晋代に許思妣・孟少孤有り。此くの如き名字は、幸わくは当に之を避くべし。
-
『顔氏家訓』風操凡そ諱を避くる者は、皆な須らく其の同訓を得て以て代換すべし。桓公は名を白と曰い、博に五皓の称有り。厲王は名を長と曰い、琴に修短の目有り。布帛を布皓と謂い、腎腸を腎修と呼ぶを聞かざるなり。梁武の小名は阿練、子孫皆な練を呼びて絹と為す。乃ち銷煉の物を謂いて銷絹の物と為すは、恐らくは其の義に乖かん。或いは云を諱む者有り、紛紜を呼びて紛煙と為す。桐を諱む者有り、梧桐樹を呼びて白鉄樹と為すは、便ち戯笑に似たるのみ。
-
『顔氏家訓』風操昔司馬長卿は藺相如を慕う。故に相如と名づく。顧元嘆は蔡邕を慕う。故に雍と名づく。而るに後漢に朱倀の字は孫卿、許暹の字は顔回有り。梁世に庾晏嬰・祖孫登有り。古人の姓を連ねて名字と為すは、亦た鄙しき事なり。