顔氏家訓 / 風操
而家門頗有不同、所見互稱長短、然其阡陌、亦自可知。昔在江南、目能視而見之、耳能聽而聞之、蓬生麻中、不勞翰墨。汝曹生於戎馬之閑、視聽之所不曉、故聊記錄、以傳示子孫。
新字:而家門頗有不同、所見互称長短、然其阡陌、亦自可知。昔在江南、目能視而見之、耳能聴而聞之、蓬生麻中、不労翰墨。汝曹生於戎馬之閑、視聴之所不暁、故聊記録、以伝示子孫。
書き下し
而して家門頗る同じからざる有り。見る所互いに長短を称す。然れども其の阡陌は、亦た自ずから知るべし。昔江南に在りしとき、目能く視て之を見、耳能く聴きて之を聞く。蓬、麻中に生ずれば、翰墨を労せず。汝曹は戎馬の間に生まれ、視聴の暁らざる所なり。故に聊か記録し、以て子孫に伝え示す。
現代語訳
しかも家ごとにかなり違いがあり、それぞれ自分の見たものを長所とし他を短所とする。とはいえ大筋の道すじは、自ずと分かるものだ。昔、江南にいた頃は、目で見ればそれが見え、耳で聞けばそれが聞こえた。蓬も麻の中に生えれば真っ直ぐになるように、筆と墨を煩わせる必要はなかった。お前たちは戦乱の中に生まれ、見ても聞いても分からない環境にいる。だから少しばかり書き記して、子孫に伝え示すのである。
解説
なぜ作法をわざわざ書き残すのか、その理由です。江南にいた頃は、見て聞けば自然に身についた。蓬は麻の中で育てば支えなしに真っ直ぐ伸びる。環境が教育を代行していたのです。ところが戦乱で環境が失われ、子どもたちは見本を見ずに育っている。だから文字にする——文書化は、環境が壊れたときの代替手段だという認識です。組織でも同じことが起きます。少人数で全員が同じ場所にいた頃は、マニュアルなしで文化が伝わった。人が増え、拠点が分かれ、離職が続くと、それが止まる。文書を作るべき時期は、文化が壊れてからではなく、環境による伝達が効かなくなり始めたときです。
この章句が説くこと
蓬麻中に生ず翰墨を労せず戎馬の間に生まる文書化の時期
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