顔氏家訓 / 雜藝
古為大博則六箸、小博則二煢、今無曉者。比世所行、一煢十二棋、數術淺短、不足可翫。圍棋有手談、坐隱之目、頗為雅戲、但令人耽憒、廢喪實多、不可常也。
新字:古為大博則六箸、小博則二煢、今無暁者。比世所行、一煢十二棋、数術浅短、不足可翫。囲棋有手談、坐隠之目、頗為雅戯、但令人耽憒、廃喪実多、不可常也。
書き下し
古は大博を為すには則ち六箸、小博には則ち二煢なり。今暁る者無し。比世に行う所は、一煢十二棋なり。数術浅短にして、翫ぶに足るべからず。囲棋には手談・坐隠の目有り。頗る雅戯と為す。但だ人をして耽憒せしめ、喪を廃すること実に多し。常には為すべからざるなり。
現代語訳
昔は大博をするには六本の箸を用い、小博には二つのさいころを用いた。今は分かる者がいない。近ごろ行われているのは、一つのさいころに十二の駒である。数の術としては浅く短く、楽しむに足りない。囲碁には「手談」「坐隠」という呼び名がある。かなり風雅な遊びである。ただ人を夢中にさせ、失うものが実に多い。いつもやってよいものではない。
解説
囲碁を「雅戯」と認めたうえで、危険を指摘した一段です。「人をして耽憒せしめ、喪を廃すること実に多し」——夢中にさせ、失うものが多い。質が高いことと、時間を奪わないことは別です。むしろ質が高いほど深く入り込み、失う時間も多くなる。粗末な遊びなら飽きて離れられますが、優れたものは離れられません。何かを勧めるとき、質の高さだけを見ると、その質ゆえの危険を見落とします。良いものほど、どれだけの時間を持っていくかを先に見積もる必要があります。
この章句が説くこと
囲棋に手談坐隠の目有り頗る雅戯と為す人をして耽憒せしむ質と時間
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