顔氏家訓 / 雜藝
算術亦是六藝要事、自古儒士論天道、定律曆者、皆學通之。然可以兼明、不可以專業。江南此學殊少、唯范陽祖晅精之、位至南康太守。河北多曉此術。
新字:算術亦是六芸要事、自古儒士論天道、定律暦者、皆学通之。然可以兼明、不可以専業。江南此学殊少、唯范陽祖晅精之、位至南康太守。河北多暁此術。
書き下し
算術も亦た是れ六芸の要事なり。古より儒士の天道を論じ、律暦を定むる者は、皆な学びて之に通ず。然れども以て兼ね明らかにすべく、以て専業とすべからず。江南は此の学殊に少なし。唯だ范陽の祖晅のみ之に精し。位は南康太守に至る。河北は多く此の術を暁る。
現代語訳
算術もまた六芸の重要な一つである。昔から儒者で天の道を論じ、暦法を定める者は、みな学んでこれに通じた。しかしこれは兼ねて明らかにすべきもので、専門の業とすべきではない。江南ではこの学問がとりわけ少ない。ただ范陽の祖晅だけがこれに精通していた。位は南康太守に至った。河北ではこの術を心得ている者が多い。
解説
算術の位置づけを定めた一段です。重要である、儒者は皆これに通じていた、しかし専門にするな。「兼ね明らかにすべく、専業とすべからず」——雜藝篇の各段で繰り返される型です。書も、絵も、算術も、身につけよ、しかしそれを看板にするな。理由は前の段で示されたとおりで、看板にすると使われる側に回るからです。複数の技能を持つが、どれか一つで名乗らない。専門を持つべきだという今日の常識とは逆ですが、専門化がその人の使われ方を決めてしまうという観察は、今も有効です。
この章句が説くこと
算術も六芸の要事兼ね明らかにすべく専業とすべからず祖晅のみ之に精し名乗りと使われ方
関連する章句
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