顔氏家訓 / 雜藝
若官未通顯、每被公私使令、亦為猥役。吳縣顧士端出身湘東王國侍郎、後為鎮南府刑獄參軍、有子曰庭、西朝中書舍人、父子並有琴書之藝、尤妙丹青、常被元帝所使、每懷羞恨。彭城劉岳、橐之子也、仕為驃騎府管記、平氏縣令、才學快士、而畫絕倫。後隨武陵王入蜀、下牢之敗、遂為陸護軍畫支江寺壁、與諸工巧雜處。向使三賢都不曉畫、直運素業、豈見此恥乎?
新字:若官未通顕、毎被公私使令、亦為猥役。吳県顧士端出身湘東王国侍郎、後為鎮南府刑獄参軍、有子曰庭、西朝中書舎人、父子並有琴書之芸、尤妙丹青、常被元帝所使、毎懐羞恨。彭城劉岳、橐之子也、仕為驃騎府管記、平氏県令、才学快士、而画絶倫。後随武陵王入蜀、下牢之敗、遂為陸護軍画支江寺壁、与諸工巧雑処。向使三賢都不暁画、直運素業、豈見此恥乎?
書き下し
若し官未だ通顕せずんば、毎に公私の使令を被る。亦た猥役と為す。呉県の顧士端は身を湘東王国の侍郎に出だし、後に鎮南府の刑獄参軍と為る。子有り庭と曰う、西朝の中書舎人なり。父子並びに琴書の芸有り、尤も丹青に妙なり。常に元帝の使う所と為り、毎に羞恨を懐く。彭城の劉岳は、橐の子なり。仕えて驃騎府の管記・平氏県令と為る。才学快士にして、画は絶倫なり。後に武陵王に随いて蜀に入る。下牢の敗に、遂に陸護軍の為に支江寺の壁を画き、諸の工巧と雑処す。向使い三賢都て画を暁らずんば、直だ素業を運らすのみ。豈に此の恥を見んや。
現代語訳
もし官位がまだ高くなければ、しばしば公私の用事を言いつけられる。これも下賤な労役である。呉県の顧士端は湘東王国の侍郎として出仕し、後に鎮南府の刑獄参軍となった。庭という子がおり、西朝の中書舎人であった。父子ともに琴と書の技があり、とりわけ絵に巧みだった。いつも元帝に使われ、そのたびに恥と怨みを抱いた。彭城の劉岳は劉橐の子である。仕えて驃騎府の管記、平氏県令となった。才学ある気持ちのよい人物で、絵は並ぶ者がなかった。後に武陵王に従って蜀に入った。下牢の敗戦で、そのまま陸護軍のために支江寺の壁を描かされ、多くの職人と一緒に働いた。もしこの三人がまったく絵を知らなかったなら、ただ本来の学問の道を歩むだけだった。どうしてこんな恥を見ることがあっただろうか。
解説
この章句が説くこと
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『顔氏家訓』雜藝画絵の工は、亦た妙と為すなり。古より名士、多く或いは之を能くす。吾が家に嘗て梁の元帝の手ずから画きし蝉雀の白団扇及び馬図有り。亦た及び難きなり。武烈太子は偏えに写真を能くす。坐上の賓客、宜しきに随いて点染すれば、即ち数人を成す。以て童孺に問えば、皆な姓名を知れり。蕭賁・劉孝先・劉霊は、並びに文学已外、復た此の法に佳なり。古今を翫閲するに、特に宝愛すべし。
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『顔氏家訓』省事近世に両人有り、朗悟の士なり。性営綜多く、略ぼ成名無し。経は以て問を待つに足らず、史は以て討論するに足らず、文章は集録に伝うべき無く、書跡は未だ以て留めて愛翫するに堪えず。卜筮は六を射て三を得、医薬は十を治めて五を差やす。音楽は数十人の下に在り、弓矢は千百人の中に在り。天文・画絵・棋博・鮮卑語・胡書・胡桃油を煎ずること・錫を煉りて銀と為すこと、此くの如きの類、略ぼ梗概を得るも、皆な通熟せず。惜しいかな、彼の神明を以て、若し其の異端を省かば、当に精妙なるべし。
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『顔氏家訓』雜藝王逸少は風流の才士、蕭散の名人なり。世を挙げて惟だ其の書のみを知る。翻って能を以て自ら蔽うなり。蕭子雲毎に嘆じて曰く、「吾斉書を著し、勒して一典を成す。文章弘義、自ら観るべしと謂う。唯だ筆迹を以て名を得るは、亦た異事なり」と。王褒は地胄清華にして、才学優敏なり。後に関に入ると雖も、亦た礼遇を被る。猶お書工を以て、碑碣の間に崎嶇し、筆硯の役に辛苦す。嘗て悔恨して曰く、「仮使い吾書を知らずんば、今日に至らざるべきか」と。此を以て之を観るに、慎みて書を以て自ら命ずる勿かれ。然りと雖も、廝猥の人の、能書を以て抜擢せらるる者多し。故に道同じからざれば相い為に謀らざるなり。
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『顔氏家訓』雜藝真草の書迹は、微しく意を留むるを須つ。江南の諺に云う、「尺牘書疏は、千里の面目なり」と。晋・宋の余俗を承け、相い与に之を事とす。故に頓かに狼狽する者無し。吾は幼くして門業を承け、加うるに性愛重す。見る所の法書も亦た多く、翫習の功夫頗る至る。遂に佳なる能わざるは、良に分無きが故なり。然り而して此の芸は過ぎて精なるを須たず。夫れ巧なる者は労し、智なる者は憂う。常に人の役使する所と為り、更に累と為るを覚ゆ。韋仲将の遺戒、深く以て有るなり。
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『顔氏家訓』勉學多く士大夫の農商に渉るを恥じ、工伎を務むるを羞じ、射れば則ち札を穿つ能わず、筆すれば則ち纔かに姓名を記し、飽食酔酒して、忽忽として事無く、此を以て日を銷し、此を以て年を終うるを見る。或いは家世の余緒に因り、一階半級を得れば、便ち自ら足れりと為し、全く修学を忘る。吉凶大事有りて、得失を議論するに及べば、蒙然として口を張り、雲霧に坐するが如し。公私の宴集に、古を談じ詩を賦するに、塞黙し頭を低れ、欠伸するのみ。識有りて傍観すれば、其の代わりに地に入らん。何ぞ数年の勤学を惜しみて、長く一生の愧辱を受けんや。
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『顔氏家訓』風操夫人は、宋の広州刺史纂の孫女なり。故に構は猶お江南の風教に染まる。其の父の奬は、揚州刺史と為り、寿春に鎮し、害に遇う。構嘗て王松年・祖孝徴数人と同じく集まりて談燕す。孝徴は画を善くし、紙筆有るに遇いて、図写して人と為す。頃くして、鹿尾を割くに因り、戯れに画人を截ちて以て構に示す。而して他意無し。構愴然として色を動かし、便ち起ちて馬に就きて去る。挙座驚駭して、其の情を測る莫し。祖君尋いで悟り、方めて深く反側す。当時能く此を感ずる者有ること罕なり。