顔氏家訓 / 雜藝
畫繪之工、亦為妙矣、自古名士、多或能之。吾家嘗有梁元帝手畫蟬雀白團扇及馬圖、亦難及也。武烈太子偏能寫真、坐上賓客、隨宜點染、即成數人、以問童孺、皆知姓名矣。蕭賁、劉孝先、劉靈、並文學已外、復佳此法。翫閱古今、特可寶愛。
新字:画絵之工、亦為妙矣、自古名士、多或能之。吾家嘗有梁元帝手画蟬雀白団扇及馬図、亦難及也。武烈太子偏能写真、坐上賓客、随宜点染、即成数人、以問童孺、皆知姓名矣。蕭賁、劉孝先、劉霊、並文学已外、復佳此法。翫閱古今、特可宝愛。
書き下し
画絵の工は、亦た妙と為すなり。古より名士、多く或いは之を能くす。吾が家に嘗て梁の元帝の手ずから画きし蝉雀の白団扇及び馬図有り。亦た及び難きなり。武烈太子は偏えに写真を能くす。坐上の賓客、宜しきに随いて点染すれば、即ち数人を成す。以て童孺に問えば、皆な姓名を知れり。蕭賁・劉孝先・劉霊は、並びに文学已外、復た此の法に佳なり。古今を翫閲するに、特に宝愛すべし。
現代語訳
絵を描く技は、これもまた見事なものである。昔から名士には、それをよくする者が多い。我が家にはかつて梁の元帝が自ら描いた蝉と雀の白い団扇と、馬の図があった。とても及ぶものではない。武烈太子はとくに肖像を描くのが得意だった。座にいる客を、その場で筆を加えていくと、たちまち数人が描き上がる。それを子どもに見せると、みな誰の顔か分かった。蕭賁・劉孝先・劉霊は、文学のほかにこの技にも優れていた。古今の作品を眺めるのに、格別に大切にすべきものである。
解説
絵の技を称える段です。武烈太子の描写が具体的で、その場で客を描くと、子どもでも誰の顔か分かった。似ているかどうかを、子どもに見せて確かめている。技量の判定を、専門家の評価ではなく、予備知識のない人に見せて分かるかどうかで測っています。分かりやすい判定基準です。成果物の出来を測るとき、玄人の評価より、まったく知らない人に見せてどう伝わるかのほうが、確かな指標になる場合があります。次の段で、この技が持つ危険が語られます。
この章句が説くこと
画絵の工宜しきに随いて点染す童孺に問えば皆な姓名を知る素人による判定
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