顔氏家訓 / 文章
蘭陵蕭愨、梁室上黃侯之子、工於篇什。嘗有秋詩云:「芙蓉露下落、楊柳月中疏。」時人未之賞也。吾愛其蕭散、宛然在目。潁川荀仲舉、琅邪諸葛漢、亦以為爾。而盧思道之徒、雅所不愜。
新字:蘭陵蕭愨、梁室上黄侯之子、工於篇什。嘗有秋詩云:「芙蓉露下落、楊柳月中疏。」時人未之賞也。吾愛其蕭散、宛然在目。潁川荀仲舉、琅邪諸葛漢、亦以為爾。而盧思道之徒、雅所不愜。
書き下し
蘭陵の蕭愨は、梁室上黄侯の子なり。篇什に工みなり。嘗て秋の詩有りて云う、「芙蓉露下に落ち、楊柳月中に疎なり」と。時人未だ之を賞せざるなり。吾は其の蕭散にして、宛然として目に在るを愛す。潁川の荀仲挙、琅邪の諸葛漢も、亦た以て爾りと為す。而るに盧思道の徒は、雅より愜わざる所なり。
現代語訳
蘭陵の蕭愨は、梁の皇室の上黄侯の子である。詩文に巧みであった。かつて秋の詩を作ってこう詠んだ。「芙蓉は露の下に落ち、柳は月の中でまばらである」。当時の人はこれを評価しなかった。私はその物寂しく澄んだ趣が、目の前に見えるようであることを愛する。潁川の荀仲挙、琅邪の諸葛漢も同じ意見であった。しかし盧思道たちは、もともと気に入らなかった。
解説
当時評価されなかった詩を、顔之推が好きだと表明した一段です。同意する人が二人、反対する人が一人、名前とともに挙げられています。多数決ではなく、誰がどう見たかを記録している。前の段でも、江南が絶賛した句を北方の才人が否定したことを、両論併記で書いていました。評価が割れることを、決着させるべき問題として扱っていません。「吾は其の蕭散を愛す」——自分の好みを主語つきで言い切り、他人の評価は他人の評価として並べる。作品や提案の評価をめぐって、自分の判断を組織の総意のように語らず、誰の判断かを明示する。この態度は記録としての正確さを保ちます。
この章句が説くこと
蕭愨芙蓉露下に落つ吾は其の蕭散を愛す判断の帰属
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