顔氏家訓 / 雜藝
江南閭里間有畫書賦、乃陶隱居弟子杜道士所為、其人未甚識字、輕為軌則、托名貴師、世俗傳信、後生頗為所誤也。
新字:江南閭里間有画書賦、乃陶隠居弟子杜道士所為、其人未甚識字、軽為軌則、托名貴師、世俗伝信、後生頗為所誤也。
書き下し
江南の閭里の間に画書賦有り。乃ち陶隠居の弟子の杜道士の為す所なり。其の人未だ甚だしくは字を識らず、軽々しく軌則を為す。名を貴師に托し、世俗伝え信ず。後生頗る誤らるる所なり。
現代語訳
江南の町なかに『画書賦』というものがある。これは陶弘景の弟子である杜道士が作ったものである。その人は字をあまりよく知らないのに、軽々しく規範を作った。名を高名な師に託したので、世間はそれを伝え信じた。後の世代はかなりそれによって誤らされている。
解説
字をよく知らない人が書の規範書を作り、有名な師の名を借りたために広まった、という記録です。三つの要素が揃っています。作者に十分な知識がない、内容が規範として書かれている、権威ある名前が付いている。この三つが揃うと、内容の質と無関係に広まります。しかも規範書なので、後の世代はそれを基準として学ぶ。誤った基準は、それを学んだ人の判断ごと歪めます。何かの基準を採用するとき、誰が作ったのか、その人にその資格があるのかを確かめる。名前だけを見て採用すると、後の世代まで巻き込みます。
この章句が説くこと
画書賦未だ甚だしくは字を識らず名を貴師に托す基準の作者
関連する章句
-
『顔氏家訓』雜藝真草の書迹は、微しく意を留むるを須つ。江南の諺に云う、「尺牘書疏は、千里の面目なり」と。晋・宋の余俗を承け、相い与に之を事とす。故に頓かに狼狽する者無し。吾は幼くして門業を承け、加うるに性愛重す。見る所の法書も亦た多く、翫習の功夫頗る至る。遂に佳なる能わざるは、良に分無きが故なり。然り而して此の芸は過ぎて精なるを須たず。夫れ巧なる者は労し、智なる者は憂う。常に人の役使する所と為り、更に累と為るを覚ゆ。韋仲将の遺戒、深く以て有るなり。
-
『顔氏家訓』雜藝晋・宋以来、能く書する者多し。故に其の時俗、逓いに相い染尚す。有る所の部帙は、楷正にして観るべし。俗字無きにあらざるも、大損と為さず。梁の天監の間に至るまで、斯の風未だ変ぜず。大同の末、訛替滋く生ず。蕭子雲は字体を改易し、邵陵王は頗る偽字を行う。朝野翕然として、以て楷式と為す。虎を画きて成らず、傷敗する所多し。一字を為るに至りて、唯だ数点を見るのみ。或いは妄りに斟酌して、便に逐いて転移す。爾後の墳籍は、略ぼ看るべからず。
-
『顔氏家訓』雜藝王逸少は風流の才士、蕭散の名人なり。世を挙げて惟だ其の書のみを知る。翻って能を以て自ら蔽うなり。蕭子雲毎に嘆じて曰く、「吾斉書を著し、勒して一典を成す。文章弘義、自ら観るべしと謂う。唯だ筆迹を以て名を得るは、亦た異事なり」と。王褒は地胄清華にして、才学優敏なり。後に関に入ると雖も、亦た礼遇を被る。猶お書工を以て、碑碣の間に崎嶇し、筆硯の役に辛苦す。嘗て悔恨して曰く、「仮使い吾書を知らずんば、今日に至らざるべきか」と。此を以て之を観るに、慎みて書を以て自ら命ずる勿かれ。然りと雖も、廝猥の人の、能書を以て抜擢せらるる者多し。故に道同じからざれば相い為に謀らざるなり。
-
『顔氏家訓』名實子弟の文章を治点して、以て声価と為すは、大いなる弊事なり。一には則ち常には継ぐべからず、終に其の情を露わす。二には則ち学ぶ者憑る有り、益ます精励せず。
-
『顔氏家訓』書證譬うれば猶お本草は神農の述ぶる所なるに、而も豫章・朱崖・趙国・常山・奉高・真定・臨淄・馮翊等の郡県の名有りて、諸の薬物を出だすがごとし。爾雅は周公の作る所なるに、而も『張仲は孝友なり』と云う。仲尼春秋を修むるに、而も経に孔丘卒すと書す。世本は左丘明の書する所なるに、而も燕王喜・漢の高祖有り。汲冢の瑣語は、乃ち秦望の碑を載す。蒼頡篇は李斯の造る所なるに、而も『漢天下を兼ね、海内並び厠す。豨黥韓覆り、畔きて討ちて滅残す』と云う。列仙伝は劉向の造る所なるに、而も賛に七十四人は仏経より出づと云う。列女伝も亦た向の造る所なるに、其の子の歆又た頌を作り、趙悼后に終わるに、而も伝に更始の韓夫人・明徳の馬后及び梁夫人嫕有り。皆な後人の羼ずる所に由る。本文に非ざるなり」と。
-
『顔氏家訓』書證漢書に云う、「中外禔福なり」と。字は当に示に従うべし。禔は、安なり。音は匙匕の匙。義は蒼雅・方言に見ゆ。河北の学士は皆な此くの如しと云う。而るに江南の書本は、多く誤りて手に従う。文を属する者の対耦は、並びに提挈の意と為す。恐らくは誤りと為さん。