顔氏家訓 / 書證
案:彌亙字從二閑舟、詩云:「亙之秬秠」是也。今之隸書、轉舟爲日、而何法盛中興書乃以舟在二閑爲舟航字、謬也。
新字:案:弥亙字従二閑舟、詩云:「亙之秬秠」是也。今之隸書、転舟為日、而何法盛中興書乃以舟在二閑為舟航字、謬也。
書き下し
案ずるに、弥亙の字は二の間に舟に従う。詩に云う、「之に亙りて秬秠あり」とは是なり。今の隷書は、舟を転じて日と為す。而るに何法盛の中興書は乃ち舟の二の間に在るを以て舟航の字と為す。謬なり。
現代語訳
調べてみると、「弥亙」の「亙」の字は、二本の横線の間に「舟」を書く。『詩経』にいう「そこに亙って黒黍がある」というのがそれである。今の隷書では、舟を転じて日と書く。ところが何法盛の『中興書』では、舟が二本の線の間にあるものを舟航の字だとしている。誤りである。
解説
字の成り立ちが忘れられた結果の誤りです。「亙」はもともと二本の線の間に舟を書く字でした。隷書化の過程で舟が日に変わり、元の形が見えなくなった。すると、たまたま古い形——二線の間に舟——を見た人が、それを舟に関する字だと解釈してしまった。元の字形が残っていたのに、その意味が失われていたので、字面から推測されたのです。過去の形式や書式が残っていても、その意味が伝わっていなければ、見た人は勝手に解釈します。形を残すだけでなく、なぜその形なのかを一緒に残す必要があります。
この章句が説くこと
弥亙の字は二の間に舟に従う隷書は舟を転じて日と為す舟航の字と為すは謬なり形と意味
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