顔氏家訓 / 書證
柏人城東北有一孤山、古書無載者。唯闞駰十三州志以爲舜納於大麓、即謂此山、其上今猶有堯祠焉、世俗或呼爲宣務山、或呼爲虛無山、莫知所出。趙郡士族有李穆叔、季節兄弟、李普濟、亦爲學問、並不能定鄕邑此山。
新字:柏人城東北有一孤山、古書無載者。唯闞駰十三州志以為舜納於大麓、即謂此山、其上今猶有堯祠焉、世俗或呼為宣務山、或呼為虚無山、莫知所出。趙郡士族有李穆叔、季節兄弟、李普済、亦為学問、並不能定郷邑此山。
書き下し
柏人城の東北に一孤山有り。古書に載する者無し。唯だ闞駰の十三州志のみ、以て舜大麓に納るとは、即ち此の山を謂うと為す。其の上に今猶お尭の祠有り。世俗或いは呼びて宣務山と為し、或いは呼びて虚無山と為す。出づる所を知る莫し。趙郡の士族に李穆叔・季節の兄弟、李普済有り。亦た学問を為すも、並びに郷邑の此の山を定むる能わず。
現代語訳
柏人城の東北に一つの孤立した山がある。古い書物に記載がない。ただ闞駰の『十三州志』だけが、舜が大麓に入ったというのはこの山のことだとする。その上には今も堯の祠がある。世間ではこれを宣務山と呼んだり、虚無山と呼んだりする。その由来を知る者はいない。趙郡の名門に李穆叔と李季節の兄弟、李普済がいた。彼らも学問をしていたが、どちらも地元のこの山の名を確定できなかった。
解説
地元の山の名前が分からない、という問題の提示です。古書に記載がなく、一つの地誌が触れているだけ。世間では二つの呼び名が並び、どちらも由来が分からない。しかも地元の学者たちが調べても確定できなかった。身近なものほど、記録が残っていないことがあります。遠い時代の事柄には文献があるのに、自分の足元のことは誰も書いていない。組織の中でも、なぜこの手順があるのか、なぜこの部署名なのかを誰も知らない、ということが起こります。次の段で、顔之推がどう解いたかが語られます。
この章句が説くこと
柏人城東北の孤山古書に載する者無し宣務山虚無山足元の記録賢者
関連する章句
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孟子・離婁章句下其の間、寸を以てすること能はず。」
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