顔氏家訓 / 書證
又問:「東宮舊事『六色罽(糹畏)』、是何等物?當作何音?」答曰:「案:説文云:『莙、牛藻也、讀若威。』音隱:『塢瑰反。』即陸機所謂『聚藻、葉如蓬』者也。又郭璞注三蒼亦云:『蘊、藻之類也、細葉蓬茸生。』然今水中有此物、一節長數寸、細茸如絲、圓繞可愛、長者二三十節、猶呼爲莙。又寸斷五色絲、橫著綫股間繩之、以象莙草、用以飾物、即名爲莙、於時當紺六色罽、作此莙以飾緄帶、張敞因造糹旁畏耳、宜作隈。」
新字:又問:「東宮旧事『六色罽(糹畏)』、是何等物?当作何音?」答曰:「案:説文云:『莙、牛藻也、読若威。』音隠:『塢瑰反。』即陸機所謂『聚藻、葉如蓬』者也。又郭璞注三蒼亦云:『蘊、藻之類也、細葉蓬茸生。』然今水中有此物、一節長数寸、細茸如糸、円繞可愛、長者二三十節、猶呼為莙。又寸断五色糸、横著綫股間縄之、以象莙草、用以飾物、即名為莙、於時当紺六色罽、作此莙以飾緄帯、張敞因造糹旁畏耳、宜作隈。」
書き下し
又た問う、「東宮旧事の『六色の罽(糸に畏)』とは、是れ何等の物ぞ。当に何の音を作すべきか」と。答えて曰く、「案ずるに説文に云う、『莙は、牛藻なり、読むこと威の若し』と。音隠に、『塢瑰の反』と。即ち陸機の謂う所の『聚藻は、葉蓬の如し』なる者なり。又た郭璞の三蒼に注するにも亦た云う、『蘊は、藻の類なり。細葉蓬茸として生ず』と。然れども今水中に此の物有り、一節の長さ数寸、細茸なること糸の如く、円繞して愛すべし。長き者は二三十節、猶お呼びて莙と為す。又た五色の糸を寸断し、横に線股の間に着けて之を縄い、以て莙草に象り、用て以て物を飾る。即ち名づけて莙と為す。時に当に六色の罽を紺にし、此の莙を作りて以て緄帯を飾るべし。張敞因って糸の傍らに畏を造るのみ。宜しく隈に作るべし」と。
現代語訳
またある人が問うた。「『東宮旧事』の『六色の罽○』とは、どういう物か。どう読むべきか」。答えて言った。「調べてみると『説文』にいう。『莙は牛藻である。威と読む』。音注に『塢瑰の反』とある。これはつまり陸機がいう『聚藻は葉が蓬のようだ』というものである。また郭璞が『三蒼』に注してもいう。『蘊は藻の類である。細い葉がふさふさと生える』。今も水中にこの草があり、一節の長さが数寸、細い毛が糸のようで、丸く巻いていて愛らしい。長いものは二、三十節あり、今も莙と呼ぶ。また五色の糸を細かく切り、横に糸の束の間に付けて縒り合わせ、莙草の形に似せて、物の飾りに使う。それを莙と名づける。当時は六色の織物を紺に染め、この莙を作って帯の縁飾りにしたのであろう。張敞がそこで糸偏に畏という字を作っただけである。隈と書くべきである」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『顔氏家訓』書證或るひと問いて曰く、「東宮旧事は何を以て鴟尾を呼びて祠尾と為すや」と。答えて曰く、「張敞なる者は、呉人なり。甚だしくは古を稽えず。宜しきに随いて記注し、郷俗の訛謬を逐いて、書字を造作するのみ。呉人は祠祀を呼びて鴟祀と為す。故に祠を以て鴟の字に代う。紺を呼びて禁と為す。故に糸の傍らに禁を作りて紺の字に代う。盞を呼びて竹簡の反と為す。故に木の傍らに展を作りて盞の字に代う。鑊の字を呼びて霍の字と為す。故に金の傍らに霍を作りて鑊の字に代う。又た金の傍らに患を作りて鐶の字と為し、木の傍らに鬼を作りて魁の字と為し、火の傍らに庶を作りて炙の字と為し、既の下に毛を作りて髻の字と為し、金花は則ち金の傍らに華を作り、窗扇は則ち木の傍らに扇を作る。諸ろ此くの如きの類は、専輒少なからず。
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『顔氏家訓』書證詩に云う、「誰か荼を苦しと謂う」と。爾雅・毛詩伝並びに荼を以て、苦菜なりとす。又た礼に云う、「苦菜秀ず」と。案ずるに、易統通卦験玄図に曰く、「苦菜は寒秋に生じ、冬を更え春を歴て、夏を得て乃ち成る」と。今の中原の苦菜は則ち此くの如し。一名を遊冬と曰う。葉は苦苣に似て細く、摘断すれば白汁有り。花は黄にして菊に似たり。
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『顔氏家訓』書證詩に云う、「参差たる荇菜」と。爾雅に云う、「荇は、接余なり」と。字は或いは莕と為す。先儒の解釈は皆な云う、「水草にして、円葉細茎、水の浅深に随う」と。今是の水に悉く之有り。黄花にして蓴に似たり。江南の俗にも亦た呼びて猪蓴と為し、或いは呼びて荇菜と為す。劉芳具さに注釈有り。而るに河北の俗人は多く之を識らず。博士は皆な参差たる者は是れ莧菜なりと以い、人莧を呼びて人荇と為す。亦た笑うべきの甚だしきなり。
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『顔氏家訓』書證詩に云う、「渰たる有り萋萋、雲を興すこと祁祁たり」と。毛伝に云う、「渰は、陰雲の貌なり。萋萋は、雲の行く貌なり。祁祁は、徐なる貌なり」と。箋に云う、「古者、陰陽和し、風雨時あり、其の来たること祁祁然として、暴疾ならざるなり」と。案ずるに、渰は已に是れ陰雲なり。何ぞ復た『雲を興すこと祁祁たり』と云うを労せんや。『雲』は当に『雨』と為すべし。俗写の誤りのみ。班固の霊台の詩に云う、「三光精を宣べ、五行序を布く。習習たる祥風、祁祁たる甘雨」と。此れ其の証なり。
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『顔氏家訓』書證礼の王制に云う、「股肱を臝にす」と。鄭注に云う、「衣を揎げて其の臂脛を出だすを謂う」と。今の書は皆な擐甲の擐に作る。国子博士の蕭該云う、「擐は当に揎に作るべし。音は宣。擐は是れ穿著の名にして、臂を出だすの義に非ず」と。字林を案ずるに、蕭の読み是なり。徐爰の音患は、非なり。
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