師導古典を学びたいすべての人に

顔氏家訓 / 書證

後漢書:「酷吏樊曄爲天水郡守、凉州爲之歌曰:『寧見乳虎穴、不入冀府寺。』」而江南書本「穴」皆誤作「六」。學士因循、迷而不寤。夫虎豹穴居、事之較者、所以班超云:「不探虎穴、安得虎子?」寧當論其六七耶?

新字:後漢書:「酷吏樊曄為天水郡守、凉州為之歌曰:『寧見乳虎穴、不入冀府寺。』」而江南書本「穴」皆誤作「六」。学士因循、迷而不寤。夫虎豹穴居、事之較者、所以班超云:「不探虎穴、安得虎子?」寧当論其六七耶?

書き下し

後漢書に、「酷吏の樊曄天水の郡守と為る。凉州之が為に歌いて曰く、『寧ろ乳虎の穴を見るとも、冀府の寺に入らず』と」。而るに江南の書本は「穴」を皆な誤りて「六」に作る。学士因循して、迷いて寤めず。夫れ虎豹の穴居するは、事の較かなる者なり。所以に班超云う、「虎穴を探らずんば、安んぞ虎子を得ん」と。寧んぞ当に其の六七を論ずべけんや。

現代語訳

『後漢書』にいう。「酷吏の樊曄が天水の郡守となった。凉州の人々はそのために歌った。『むしろ子連れの虎の穴を見るほうがましだ、冀府の役所には入らない』」。ところが江南の本では「穴」をみな誤って「六」と書いている。学者たちはそれを踏襲して、迷ったまま気づかない。虎や豹が穴に住むのは、はっきりした事実である。だから班超も「虎の穴に入らなければ、どうして虎の子を得られようか」と言ったのである。どうして六匹か七匹かを論じる必要があろうか。

解説

「穴」が「六」に誤写された例です。字形が近いうえに、「乳虎六」でも一応意味は通ってしまう——子連れの虎が六匹、と読めます。だから誤りが見過ごされ、学者たちがそのまま受け継ぎました。顔之推の反論は明快で、虎は穴に住むというのは誰でも知っている事実だし、班超の有名な句も「虎穴」である。何より、なぜ六匹と数える必要があるのか。誤りが「一応意味が通る」形をしているとき、最も見つかりにくい。おかしいと感じないので誰も確かめません。通じてはいるが不自然、という感覚を大事にすることです。

この章句が説くこと

乳虎の穴江南の書本は穴を六に作る学士因循して寤めず通じてしまう誤り

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる