顔氏家訓 / 書證
鱔魚長者不過三尺、大者不過三指、黃地黑文、故都講云:「蛇鱔、卿大夫服之象也。」續漢書及搜神記亦説此事、皆作「鱔」字。孫卿云:「魚鱉鰍鱣。」及韓非、説苑皆曰:「鱣似蛇、蠶似蠋。」並作「鱣」字。假「鱣」爲「鱔」、其來久矣。
新字:鱔魚長者不過三尺、大者不過三指、黄地黒文、故都講云:「蛇鱔、卿大夫服之象也。」続漢書及捜神記亦説此事、皆作「鱔」字。孫卿云:「魚鱉鰍鱣。」及韓非、説苑皆曰:「鱣似蛇、蠶似蠋。」並作「鱣」字。仮「鱣」為「鱔」、其来久矣。
書き下し
鱔魚は長き者も三尺に過ぎず。大なる者も三指に過ぎず。黄地に黒文なり。故に都講云う、「蛇鱔は、卿大夫の服の象なり」と。続漢書及び捜神記にも亦た此の事を説くに、皆な「鱔」の字に作る。孫卿云う、「魚鼈鰍鱣」と。及び韓非・説苑にも皆な曰く、「鱣は蛇に似、蚕は蠋に似たり」と。並びに「鱣」の字に作る。「鱣」を仮りて「鱔」と為すこと、其の来たること久しきなり。
現代語訳
鱔魚は長いものでも三尺を超えず、太いものでも指三本ほどである。黄色い地に黒い模様がある。だから講義役が「蛇鱔は卿大夫の礼服の模様に似ている」と言ったのである。『続漢書』や『捜神記』もこの出来事を記しているが、どちらも「鱔」の字を使っている。荀子は「魚・鼈・鰍・鱣」という。また『韓非子』『説苑』にもどれも「鱣は蛇に似て、蚕は蠋に似ている」とある。どちらも「鱣」の字を使っている。「鱣」を借りて「鱔」の意味に用いることは、その由来がたいそう古いのである。
解説
前段で「鱣ではありえない」と示した後、では正しくは何かを確定する段です。鱔魚は三尺以下で細く、黄地に黒い模様がある。だから礼服の模様にたとえられた——この説話の意味が通ります。そのうえで、なぜ混同が起きたかを説明します。「鱣」を借りて「鱔」を表す用法が古くからあった。つまり単なる誤字ではなく、由緒ある仮借だった。誤りを見つけたとき、そこで止めずに、なぜそうなったかまで遡る。原因が分かれば、同じ型の誤りを他でも見つけられます。誤りの指摘は、原因の解明とセットで初めて再発を防ぎます。
この章句が説くこと
鱔魚は三尺に過ぎず黄地に黒文鱣を仮りて鱔と為す原因まで遡る
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