顔氏家訓 / 歸心
楊思達為西陽郡守、值侯景亂、時復旱儉、饑民盜田中麥。思達遣一部曲守視、所得盜者、輒截手腕、凡戮十餘人。部曲後生一男、自然無手。
新字:楊思達為西陽郡守、値侯景乱、時復旱倹、饑民盗田中麦。思達遣一部曲守視、所得盗者、輒截手腕、凡戮十余人。部曲後生一男、自然無手。
書き下し
楊思達西陽の郡守と為る。侯景の乱に値い、時に復た旱倹なり。飢民田中の麦を盗む。思達一部曲を遣わして守視せしむ。得る所の盗者は、輒ち手腕を截つ。凡そ十余人を戮す。部曲後に一男を生むに、自然に手無し。
現代語訳
楊思達が西陽の郡守であったとき、侯景の乱に遭い、そのうえ日照りで作物が乏しかった。飢えた民が畑の麦を盗んだ。思達は一人の家来を遣わして見張らせた。捕らえた盗人は、そのたびに手首を切り落とした。全部で十数人を処罰した。その家来は後に男の子を生んだが、生まれつき手がなかった。
解説
因果応報譚の最後の一つですが、性格が違います。ここで罰を受けたのは命じた郡守ではなく、実行した家来です。飢饉で麦を盗んだ民の手首を切り落とすという処罰を、命令に従って実行した。命令の責任は上にあるはずですが、報いは実行者に来ました。説話としての整合は問えませんが、この配置には意味があります。命じられて行ったことの責任は、命じた人と分け合うのではなく、実行した本人にも丸ごと残る。組織の中で、上の指示だからと非道な処置を実行するとき、その記憶と責任は自分に残ります。命令の存在は、実行の免責になりません。
この章句が説くこと
飢民田中の麦を盗む輒ち手腕を截つ部曲後に一男を生むに手無し実行者の責任天道
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