顔氏家訓 / 文章
何遜詩實為清巧、多形似之言、揚都論者、恨其每病苦辛、饒貧寒氣、不及劉孝綽之雍容也。雖然、劉甚忌之、平生誦何詩、常云:「『蘧車響北闕』、(心畫)(心畫)不道車。」又撰詩苑、止取何兩篇、時人譏其不廣。
新字:何遜詩実為清巧、多形似之言、揚都論者、恨其毎病苦辛、饒貧寒気、不及劉孝綽之雍容也。雖然、劉甚忌之、平生誦何詩、常云:「『蘧車響北闕』、(心画)(心画)不道車。」又撰詩苑、止取何両篇、時人譏其不広。
書き下し
何遜の詩は実に清巧たり。形似の言多し。揚都の論者は、其の毎に苦辛を病み、貧寒の気饒きを恨む。劉孝綽の雍容なるに及ばずと。然りと雖も、劉甚だ之を忌む。平生何の詩を誦し、常に云う、「蘧車北闕に響く、心画心画、車を道わず」と。又た詩苑を撰するに、止だ何の両篇を取るのみ。時人其の広からざるを譏る。
現代語訳
何遜の詩は実に清らかで巧みである。ありさまを写し取る言葉が多い。揚都の批評家たちは、その詩がいつも苦渋を帯びていることを難点とし、貧しく寒々しい気配が多いことを不満に思った。劉孝綽のゆったりとした趣に及ばない、と。そうは言うものの、劉孝綽は何遜をひどく警戒していた。日ごろ何遜の詩を口ずさんでは、いつもこう言った。「蘧車が北闕に響く、この一句は心の画だ、心の画だ。車のことを言っているのではない」。また『詩苑』を編むときには、何遜の詩をわずか二篇しか採らなかった。当時の人は、その了見の狭さを謗った。
解説
批評家は何遜より劉孝綽が上だと言い、その劉孝綽本人は何遜を警戒していた。しかも彼は何遜の詩を日ごろ口ずさみ、その一句を絶賛までしている。それでいて自分が編む詞華集には二篇しか採らなかった。世間の評価、当人の内心の評価、そして公の場での扱いが、三つとも食い違っています。しかも当時の人はその狭量を見抜いていました。競合を内心では高く評価しながら、公の場では低く扱う。それは周囲に見えていて、評価するのは自分の器のほうです。誰を推薦するか、誰を紹介するかという行為は、対象の評価であると同時に、自分の評価にもなります。
この章句が説くこと
何遜の詩は実に清巧蘧車北闕に響く詩苑に両篇のみ器の露出
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