顔氏家訓 / 勉學
孔子云:「五十以學易、可以無大過矣。」魏武、袁遺、老而彌篤、此皆少學而至老不倦也。曾子七十乃學、名聞天下、荀卿五十、始來游學、猶為碩儒、公孫弘四十餘、方讀春秋、以此遂登丞相、朱云亦四十、始學易、論語、皇甫謐二十、始受孝經、論語:皆終成大儒、此並早迷而晚寤也。
新字:孔子云:「五十以学易、可以無大過矣。」魏武、袁遺、老而弥篤、此皆少学而至老不倦也。曽子七十乃学、名聞天下、荀卿五十、始来游学、猶為碩儒、公孫弘四十余、方読春秋、以此遂登丞相、朱云亦四十、始学易、論語、皇甫謐二十、始受孝経、論語:皆終成大儒、此並早迷而晩寤也。
書き下し
孔子云う、「五十にして以て易を学べば、以て大過無かるべし」と。魏武・袁遺は、老いて弥いよ篤し。此れ皆な少くして学びて老いに至るまで倦まざる者なり。曾子は七十にして乃ち学び、名は天下に聞こゆ。荀卿は五十にして、始めて来たりて游学し、猶お碩儒と為る。公孫弘は四十余にして、方めて春秋を読み、此を以て遂に丞相に登る。朱雲も亦た四十にして、始めて易・論語を学ぶ。皇甫謐は二十にして、始めて孝経・論語を受く。皆な終に大儒と成る。此れ並びに早く迷いて晩く寤めたる者なり。
現代語訳
孔子は言った。「五十になって『易』を学べば、大きな過ちを犯さずに済むだろう」。魏の武帝や袁遺は、老いてますます学問に篤かった。これらはみな若いうちから学んで老いに至るまで飽きなかった人である。曾子は七十になってようやく学び、その名は天下に知られた。荀卿は五十になって初めて遊学に来たが、それでも大学者となった。公孫弘は四十過ぎて、ようやく『春秋』を読み、それによって丞相にまで上った。朱雲も四十で、初めて『易』と『論語』を学んだ。皇甫謐は二十で、初めて『孝経』と『論語』を教わった。みな最後には大学者となった。これらはみな、早くに迷って遅れて目覚めた人である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『春秋左氏伝』昭公十八年 学は殖なり六月、鄅人稻を藉(し)く。邾人鄅を襲ふ。鄅人將に門を閉ぢんとす。邾人羊羅、其の首を攝(と)る。遂に之に入り、盡く俘にして以て歸る。鄅子曰く、「余歸る無し」と。帑に從ひて邾に於いてす。邾の莊公鄅の夫人を反し、而して其の女を舍(とど)む。秋、曹の平公を葬る。往く者周の原伯魯に見え、之と語る。學を說ばず。歸りて以て閔子馬に語る。閔子馬曰く、「周其れ亂れんか。夫れ必ず多く是の說有りて、而る後に其の大人に及ぶ。大人失ふを患へて惑ひ、又曰く、『以て學ぶこと無かる可し。學ぶこと無きも害あらず』と。害あらずとして學ばざれば、則ち苟くも可なりとす。是に於いてか下陵ぎ上替(すた)る。能く亂るること無からんや。夫れ學は殖なり。學ばざれば將に落ちんとす。原氏其れ亡びんか」と。
-
論語・季氏篇孔子曰く、「『善を見ては及ばざるが如くし、不善を見ては湯を探るが如くす。』吾其の人を見たり、吾其の語を聞けり。『隠居して以て其の志を成し、義を行いて以て其の道を達す。』吾其の語を聞けり、未だ其の人を見ざるなり。」
-
『学問のすゝめ』十五編・事物を疑いて取捨を断ずること・昨日の所信は今日の疑団となり然りしこうして今この責めに任ずる者は、他なし、ただ一種わが党の学者あるのみ。学者勉めざるべからず。けだしこれを思うはこれを学ぶに若かず。幾多の書を読み、幾多の事物に接し、虚心平気、活眼を開き、もって真実のあるところを求めなば、信疑たちまちところを異にして、昨日の所信は今日の疑団となり、今日の所疑は明日氷解することもあらん。学者勉めざるべからざるなり。
-
論語・雍也篇子、子夏に謂いて曰く、女(なんじ)は君子の儒たれ、小人の儒たるなかれ。
-
論語・里仁篇子曰わく、賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる。
-
論語・雍也篇子曰わく、賢なるかな回や!一簞の食、一瓢の飲、陋巷に在り。人はその憂えに堪えずといえども、回やその楽しみを改めず。賢なるかな回や。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る