顔氏家訓 / 勉學
素暴悍者、欲其觀古人之小心黜己、齒弊舌存、含垢藏疾、尊賢容眾、苶然沮喪、若不勝衣也、素怯懦者、欲其觀古人之達生委命、強毅正直、立言必信、求福不回、勃然奮厲、不可恐懾也:曆茲以往、百行皆然。縱不能淳、去泰去甚。學之所知、施無不達。
新字:素暴悍者、欲其観古人之小心黜己、齒弊舌存、含垢蔵疾、尊賢容眾、苶然沮喪、若不勝衣也、素怯懦者、欲其観古人之達生委命、強毅正直、立言必信、求福不回、勃然奮厲、不可恐懾也:暦茲以往、百行皆然。縦不能淳、去泰去甚。学之所知、施無不達。
書き下し
素より暴悍なる者には、其れをして古人の小心にして己を黜け、歯弊れて舌存し、垢を含み疾を蔵し、賢を尊び衆を容るるを観て、苶然として沮喪し、衣に勝えざるが若くならしめんと欲す。素より怯懦なる者には、其れをして古人の生に達し命を委ね、強毅正直にして、言を立つれば必ず信あり、福を求めて回らざるを観て、勃然として奮厲し、恐懾すべからざらしめんと欲す。茲を歴て以往、百行皆な然り。縦い淳なる能わずとも、泰を去り甚だしきを去る。学の知る所は、施して達せざる無し。
現代語訳
もともと荒々しく強引な者には、昔の人が慎重に自分を抑え、歯は欠けても舌は残るように柔らかさを保ち、汚れを飲み込み欠点を包み隠し、賢者を尊び多くの人を受け入れたありさまを読ませ、しおれて気勢をそがれ、衣の重さにも耐えられないほど柔らかくさせたい。もともと臆病で気弱な者には、昔の人が生を悟り運命に身を委ね、強く毅然として正直であり、言葉を発すれば必ず信を守り、福を求めて道を曲げなかったありさまを読ませ、勃然と奮い立ち、脅かされないようにさせたい。これに準じて、あらゆる行いも同じである。たとえ純粋になりきれなくとも、行き過ぎと甚だしさを取り除くことはできる。学んで知ったことは、行えば通じないことがない。
解説
六種類の処方の後半です。荒々しい者には柔らかさを、臆病な者には強さを。正反対の処方を並べることで、学問が人を一つの型に押し込むものではないことが示されています。そして結びが現実的です。「縦い淳なる能わずとも、泰を去り甚だしきを去る」——完全にはなれなくても、行き過ぎと極端だけは削れる。これが学びの現実的な成果だという設定です。目標を「立派になる」に置くと達成できませんが、「自分の極端を削る」に置けば誰でも進めます。自分の傾きがどちらに寄っているかを知り、その反対側の事例を意識的に読む。この一段はそのまま読書の設計図として使えます。
この章句が説くこと
歯弊れて舌存す勃然として奮厲す泰を去り甚だしきを去る極端を削る型学問
関連する章句
-
葉隠・聞書第一手跡(しゅせき)の行儀正しく、疎略(そりゃく)なきより上はあるまじけれども、その分にては、堅(かた)くれ賤(いや)しく見ゆるなり。この上に、格(かく)を離(はな)れたる姿あるべし。諸事(しょじ)にこの理(ことわり)あるべし。
-
論語・先進篇子張、善人の道を問う。子曰く、「跡を践まずんば、亦た室に入らず。」
-
孟子・告子章句上孟子曰く、「羿(ゲイ)の人に射を教うるには、必ず彀(コウ)に志す。學者も亦た必ず彀に志す。大匠の人に誨うるには、必ず規矩を以てす。學者も亦た必ず規矩を以てす。」
-
伝習録・教約毎日の工夫は、先ず徳を考え、次に書を背し書を誦し、次に礼を習い或いは課仿を作し、次に復た書を誦し書を講じ、次に詩を歌う。凡そ習礼・歌詩の類は、皆な常に童子の心を存し、其れをして習うを楽しみて倦まず、而して邪僻に及ぶの瑕無からしむる所以なり。教うる者、此くの如くんば、則ち施す所を知らん。然りと雖も、此れ其の大略なり。神にして之を明らかにするは、則ち其の人に存す。
-
伝習録・教約凡そ書を授くるは徒らに多きに在らず。但だ精熟を貴ぶ。其の資稟を量り、二百字を能くする者は止だ以て一百字を授くべし。常に精神力量をして余り有らしむれば、則ち厭苦の患い無くして、自得の美有り。諷誦の際は、務めて専心一志、口に誦し心に惟い、字字句句、紬繹反覆し、其の音節を抑揚し、其の心意を寛虚にせしめよ。久しければ則ち義理は浹洽し、聡明は日に開かん。
-
伝習録・徐愛録愛問う、「先生は『博文』を以て『約礼』の功夫と為す。深く之を思うも、未だ得る能わず。略ぼ開示せんことを請う」と。先生曰く、「『礼』の字は即ち是れ『理』の字なり。『理』の発見して見るべき者、之を『文』と謂う。『文』の隠微にして見るべからざる者、之を『理』と謂う。只だ是れ一物なり。『約礼』は、只だ是れ此の心を純ら是れ一個の天理ならしめんことを要す。此の心を純ら是れ天理ならしめんことを要せば、須らく『理』の発見する処に就きて功を用うべし。如し親に事うる時に発見せば、就ち親に事うるの上に在りて此の天理を存するを学ぶ。君に事うる時に発見せば、就ち君に事うるの上に在りて此の天理を存するを学ぶ。富貴・貧賤に処る時に発見せば、就ち富貴・貧賤に処るの上に在りて此の天理を存するを学ぶ。患難・夷狄に処る時に発見せば、就ち患難・夷狄に処るの上に在りて此の天理を存するを学ぶ。作止・語黙に至るまで、処として然らざる無し。他の発見する処に随いて、即ち就ち那の上面に個の天理を存するを学ぶ。這れ便ち是れ『之を文に博学す』なり。便ち是れ『約礼』の功夫なり。『博文』は即ち是れ『惟精』なり。『約礼』は即ち是れ『惟一』なり」と。