顔氏家訓 / 慕賢
梁孝元前在荆州、有丁覘者、洪亭民耳、頗善屬文、殊工草隸、孝元書記、一皆使之。軍府輕賤、多未之重、恥令子弟以爲楷法、時云:「丁君十紙、不敵王褒數字。」吾雅愛其手迹、常所寶持。
新字:梁孝元前在荆州、有丁覘者、洪亭民耳、頗善属文、殊工草隸、孝元書記、一皆使之。軍府軽賤、多未之重、恥令子弟以為楷法、時云:「丁君十紙、不敵王褒数字。」吾雅愛其手迹、常所宝持。
書き下し
梁の孝元前に荆州に在り。丁覘なる者有り、洪亭の民のみ。頗る属文を善くし、殊に草隷を工みにす。孝元の書記は、一に皆な之をして為さしむ。軍府は軽賤して、多く未だ之を重んぜず。子弟をして以て楷法と為さしむるを恥ず。時に云う、「丁君の十紙は、王褒の数字に敵せず」と。吾は雅より其の手迹を愛し、常に宝持する所なり。
現代語訳
梁の元帝が以前、荊州にいたときのこと。丁覘という者がいて、洪亭の一庶民にすぎなかった。文章を書くのがかなり上手で、とりわけ草書と隷書に巧みだった。元帝の文書は、すべてこの人に書かせていた。軍府の者たちは彼を軽んじ、多くはその価値を認めなかった。自分の子弟に手本として習わせるのを恥じたのである。当時こう言われた。「丁君の十枚は、王褒の数文字にも及ばない」。私はもともと彼の筆跡を愛し、いつも大切に持っていた。
解説
実力ではなく出自で評価が決まった例です。丁覘は元帝の文書をすべて任されるほどの腕を持ちながら、一庶民だったために軽んじられ、その筆跡を子に習わせるのは恥だとされた。「丁君の十紙は王褒の数字に敵せず」という評は、内容ではなく肩書の比較です。顔之推だけが彼の筆跡を愛し、大切に持っていました。次の段で状況が変わりますが、その前にこの段が置かれている意味は、評価が変わる前に価値を見抜いていた人がいたということです。誰も評価していない人の仕事を、自分の目で見て評価できるか。それができる人だけが、次の段の逆転を先取りできます。
この章句が説くこと
丁覘洪亭の民丁君の十紙出自による評価
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