学問のすゝめ / 十三編・怨望の人間に害あるを論ず・誹謗と弁駁とその間に髪を容るべからず
また誹謗と弁駁とその間に髪を容るべからず。他人に曲を誣うるものを誹謗と言い、他人の惑いを解きてわが真理と思うところを弁ずるものを弁駁と名づく。ゆえに世にいまだ真実無妄の公道を発明せざるの間は、人の議論もまた、いずれを是としていずれを非とすべきやこれを定むべからず。是非いまだ定まらざるの間は仮りに世界の衆論をもって公道となすべしといえども、その衆論のあるところを明らかに知ることはなはだ易からず。ゆえに他人を誹謗する者を目して直ちにこれを不徳者と言うべからず。そのはたして誹謗なるか、または真の弁駁なるかを区別せんとするには、まず世界中の公道を求めざるべからず。
書き下し
また誹謗と弁駁とその間に髪を容るべからず。他人に曲を誣うるものを誹謗と言い、他人の惑いを解きてわが真理と思うところを弁ずるものを弁駁と名づく。ゆえに世にいまだ真実無妄の公道を発明せざるの間は、人の議論もまた、いずれを是としていずれを非とすべきやこれを定むべからず。是非いまだ定まらざるの間は仮りに世界の衆論をもって公道となすべしといえども、その衆論のあるところを明らかに知ることはなはだ易からず。ゆえに他人を誹謗する者を目して直ちにこれを不徳者と言うべからず。そのはたして誹謗なるか、または真の弁駁なるかを区別せんとするには、まず世界中の公道を求めざるべからず。
現代語訳
また誹謗と反論とはその間に髪の毛一本も入れられません。他人に無実の罪を着せるものを誹謗と言い、他人の惑いを解いて自分が真理と思うところを論じるものを反論と名づけます。ですから世にまだ真実で偽りのない公の道が見出されない間は、人の議論もまた、どれを是としどれを非とすべきか定めることができません。是非がまだ定まらない間は、仮に世界の多数の意見を公の道とすべきですが、その多数の意見のありかをはっきり知ることは非常に容易ではありません。ですから他人を誹謗する者を直ちに不徳の者と言ってはなりません。それが本当に誹謗なのか、または真の反論なのかを区別しようとするには、まず世界中の公の道を求めなければなりません。
解説
この章句が説くこと
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