不動智神妙録 / 前後際断
前後際斷と申す事の候、前の心をすてず、又今の心を跡へ殘すが惡敷候なり、前と今との間をば、きつてのけよと云ふ心なり、是れを前後の際を切つて放せと云ふ義なり、心をとゞめぬ義なり。
新字:前後際断と申す事の候、前の心をすてず、又今の心を跡へ残すが悪敷候なり、前と今との間をば、きつてのけよと云ふ心なり、是れを前後の際を切つて放せと云ふ義なり、心をとゞめぬ義なり。
書き下し
前後際断と申す事の候、前の心をすてず、又今の心を跡へ残すが悪敷候なり、前と今との間をば、きつてのけよと云ふ心なり、是れを前後の際を切つて放せと云ふ義なり、心をとゞめぬ義なり。
現代語訳
前後際断ということがあります。前の心を捨てず、また今の心を後に残すのがよくないのです。前と今との間を、切り離せ、という心です。これを、前後の際を切って放せ、という意味です。心をとどめない、ということです。
解説
前後際断は、過去と未来の間をすっぱりと断ち切ることを言う禅の言葉である。過去の心を引きずり、今の心を未来に残すのがよくない。前の失敗を引きずって今の判断を誤ったり、今の不安を明日に持ち越したりすることは、誰にでもある。一瞬一瞬を切り離して、その時々に全力で向き合う。道元も『正法眼蔵』で同じ言葉を用いて、薪は薪、灰は灰と説いた。今この瞬間に生きることの大切さを、短く鋭く伝えている。
この章句が説くこと
前後際断今切り替え過去禅語とどまらない心
関連する章句
-
『不動智神妙録』有心の心 無心の心是れ心に物ある故なり、あるとは思ふ事があるなり、此有る物を去りぬれば、心無心にして唯用の時ばかり働きて其用に当る、此の心にある物を去らんと思ふ心が又心中の有る物になる、思はざれば独り去りて自ら無心となるなり、常にかくすれば何時となく後は独り其位へ行くなり、急にやらんとすれば行かぬものなり、古歌に「思はしと思ふも物を思ふなり思はじとだに思はしやきみ」。
-
『不動智神妙録』諸仏不動智諸仏不動智と申す事は、不動とはうごかずといふ文字にて候、智は智恵の智にて候、不動と申し候ても、石か木かのやうに無性なる義理にてはなく候、向ふへも左へも右へも、十方八方へ心は動き度きやうに動きながら、卒度も止まらぬ心を不動智と申し候、
-
『不動智神妙録』心の置所万一もし一所に定めて心を置くならば、一所に取られて用は欠くべきなり、思案すれバ思案に取らるゝ程に、思案をも分別をも残さず、心をは総身に捨て置き、所々に止めずして其所々に在て用をば外さず叶ふべし、心を一所に置けば偏に落つると云ふなり、偏とは一方に片付きたる事を云ふなり、正とは何処へも行き渡つたる事なり、正心とは総身へ心を伸べて一方へ付かぬを言ふなり、心の一処に片付きて一方は欠けるを偏心と申すなり、偏を嫌ひ申し候、
-
『不動智神妙録』石火之機石火之機と申す事の候、是れも前の心持にて候、石をハタと打つや否や光が出で、打つと其のまゝ出る火なれば間も透間もなき事にて候、是れも心の止るべき間のなき事を申し候、早き事とばかり心得候へば悪敷候、心を物に止め間敷と云ふが詮にて候。
-
『不動智神妙録』諸仏不動智然れば不動明王と申すも人の一心の動かぬ所を申し候、亦身を動転せぬことにて候、動転せぬとは物毎に留らぬ事にて候、物一目見て其心を止めぬを不動と申し候、なぜなれば物に心が止り候へば、いろいろの分別か胸に候間胸のうちにいろいろに動き候、止れば止る心は動きても動かぬにて候。
-
『不動智神妙録』有心の心 無心の心有心之心無心之心と申す事の候、有心の心と申すは妄心と同じ事にて、有心とはアルコヽロと読む文字にて、何事にても一方へ思ひ詰る所なり、心に思ふ事ありて分別思案が生ずる程に、有心の心と申し候、無心の心と申すは右の本心と同じ事にて、固り定まりたる事なく分別も思案も何も無き時の心、総身に広ごりて全体に行渡る心を無心と申す也、どツこにも置かぬ心なり、石か木かのやうにてはなし、留る所なきを無心と申す也、留れば心に物かあり留る所なければ心に何も無し、心に何もなきを無心の心と申し、又は無心無念とも申し候、