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塩鉄論 / 水旱篇

大夫曰:「禹、湯聖主、后稷、伊尹賢相也、而有水旱之災。水旱、天之所為、饑穰、陰陽之運也、非人力。故太歲之數、在陽為旱、在陰為水。六歲一饑、十二歲一荒。天道然、殆非獨有司之罪也。」

新字:大夫曰:「禹、湯聖主、后稷、伊尹賢相也、而有水旱之災。水旱、天之所為、饑穰、陰陽之運也、非人力。故太歳之数、在陽為旱、在陰為水。六歳一饑、十二歳一荒。天道然、殆非独有司之罪也。」

書き下し

大夫曰く、禹・湯は聖主、后稷・伊尹は賢相なり、而も水旱の災い有り。水旱は天の為す所、饑穰は陰陽の運なり、人力に非ず。故に太歲の數、陽に在れば旱と為り、陰に在れば水と為る。六歲にして一たび饑え、十二歲にして一たび荒る。天道然り、殆んど獨り有司の罪に非ざるなり。

現代語訳

大夫が言った。「禹や湯王は聖なる君主であり、后稷や伊尹は賢い宰相であった。それでも水害や旱害はあった。水害と旱害は天のなすところであり、飢饉と豊作は陰陽のめぐりであって、人の力によるものではない。だから太歳の数え方でも、陽に当たる年は旱となり、陰に当たる年は水害となる。六年に一度は飢え、十二年に一度は荒れる。天の道がそうなのであって、担当官だけの罪ではあるまい」

解説

篇が「水旱」に移り、大夫は責任を天へ渡します。**禹や湯のような聖王の代にも、水害と旱害はあった。**そのうえ周期まで持ち出し、六年に一度の飢饉、十二年に一度の凶作は天の道だ、と。前段で農政の実務を突かれた直後に、話を人の手の届かない領域へ引き上げた形です。不作を天災と見るか人災と見るか。この書でいちばん現代にそのまま重なる分かれ目が、ここから始まります。

この章句が説くこと

水旱は天の為す所饑穰は陰陽の運なり六歳にして一たび饑え十二歳にして一たび荒る殆んど独り有司の罪に非ざるなり天災責任外部要因

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