淮南子 / 泰族訓
夫矢之所以射遠貫牢者,弩力也;其所以中的剖微者,正心也;賞善罰暴者,政令也;其所以能行者,精誠也。故弩雖強,不能獨中;令雖明,不能獨行;必自精氣所以與之施道。故攄道以被民,而民弗從者,誠心弗施也。
新字:夫矢之所以射遠貫牢者,弩力也;其所以中的剖微者,正心也;賞善罰暴者,政令也;其所以能行者,精誠也。故弩雖強,不能独中;令雖明,不能独行;必自精気所以与之施道。故攄道以被民,而民弗従者,誠心弗施也。
書き下し
夫れ矢の遠きを射て牢きを貫く所以の者は、弩の力なり。其の的に中り微を剖く所以の者は、正心なり。善を賞し暴を罰するは、政令なり。其の能く行わるる所以の者は、精誠なり。故に弩 強しと雖も、獨り中つる能わず。令 明らかなりと雖も、獨り行わるる能わず。必ず精氣の與に道を施す所以に自る。故に道を攄べて以て民に被らしめて、民 從わざる者は、誠心 施されざればなり。
現代語訳
矢が遠くまで飛び堅いものを貫くのは、弩の力である。的に中り、細いものを割くのは、心が正しいからである。善に賞を与え暴虐を罰するのは、政令である。それが実際に行われるのは、まごころによる。だから弩が強くても、それだけでは中らない。令が明快でも、それだけでは行われない。必ず、気持ちが伴って道が施されるからである。だから、道を並べ立てて民に及ぼしても、民が従わないのは、まごころが施されていないからである。
解説
「弩 強しと雖も、獨り中つる能わず。令 明らかなりと雖も、獨り行わるる能わず」。弩の強さと当たることは別で、令の明快さと行われることも別。どちらも、もう一つの要素が要ります。制度をどれだけ整えても人が動かないとき、足りないのは条文の精度ではない、という一段です。
この章句が説くこと
矢の遠きを射て牢きを貫く所以の者は弩の力なり其の的に中り微を剖く所以の者は正心なり善を賞し暴を罰するは政令なり其の能く行わるる所以の者は精誠なり弩強しと雖も独り中つる能わず令明らかなりと雖も独り行わるる能わず道を攄べて以て民に被らしめて民従わざる者は誠心施されざればなり誠
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