淮南子 / 泰族訓
故聖人者懷天心,聲然能動化天下者也。故精誠感於內,形氣動於天,則景星見,黃龍下,祥鳳至,醴泉出,嘉穀生,河不滿溢,海不溶波。故《詩》云:「懷柔百神,及河嶠嶽。」逆天暴物,則日月薄蝕,五星失行,四時幹乖,晝冥宵光,山崩川涸,冬雷夏霜。《詩》曰:「正月繁霜,我心憂傷。」天之與人,有以相通也。
新字:故聖人者懐天心,声然能動化天下者也。故精誠感於内,形気動於天,則景星見,黄竜下,祥鳳至,醴泉出,嘉穀生,河不満溢,海不溶波。故《詩》云:「懐柔百神,及河嶠嶽。」逆天暴物,則日月薄蝕,五星失行,四時幹乖,昼冥宵光,山崩川涸,冬雷夏霜。《詩》曰:「正月繁霜,我心憂傷。」天之与人,有以相通也。
書き下し
故に聖人なる者は天心を懷き、聲然として能く天下を動化する者なり。故に精誠 內に感ずれば、形氣 天に動く。則ち景星 見れ、黃龍 下り、祥鳳 至り、醴泉 出で、嘉穀 生じ、河 滿溢せず、海 波を溶かさず。故に詩に云う「百神を懷柔し、河嶠嶽に及ぶ」と。天に逆らい物を暴わば、則ち日月 薄蝕し、五星 行を失い、四時 幹乖し、晝 冥く宵 光り、山 崩れ川 涸れ、冬に雷あり夏に霜あり。詩に曰く「正月に霜 繁く、我が心 憂傷す」と。天の人に與けるは、以て相い通ずること有るなり。
現代語訳
聖人は天の心を抱き、その声が響いて天下を動かし変えていく者である。まごころが内に動けば、その気は天に届く。すると瑞星が現れ、黄龍が降り、めでたい鳳凰が至り、甘い泉が湧き、よい穀物が実り、黄河は溢れず、海は波を立てない。だから詩に「もろもろの神を懐かせ、河にも高い山にも及ぶ」とある。天に逆らい物を損なえば、日月が欠け、五星は軌道を外れ、四季は狂い、昼は暗く夜は明るくなり、山は崩れ川は涸れ、冬に雷が鳴り夏に霜が降る。詩に「正月に霜がしきりに降る、わが心は憂え傷む」とある。天と人とは、通じ合うところがあるのである。
解説
泰族訓の柱になる考えです。人の内側にあるまごころが、天の側の現象と通じ合う。瑞兆と凶兆が対で並べられますが、読みどころは仕組みのほうです。「精誠 內に感ずれば、形氣 天に動く」——内側で本気になったものは、必ず外側に形を取る。天との感応という言い方をしていますが、人の場の話としても読めます。
この章句が説くこと
聖人なる者は天心を懐き声然として能く天下を動化する者なり精誠内に感ずれば形気天に動く景星見れ黄竜下り祥鳳至り醴泉出で嘉穀生ず天に逆らい物を暴わば則ち日月薄蝕し五星行を失う天の人に与けるは以て相い通ずること有るなり誠
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