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淮南子 / 人間訓

使被衣不暇帶,冠不及正,蒲伏而走,上車而馳,必不能自免於千步之中矣。今坐而正冠,起而更衣,徐行而出門,上車而步馬,顏色不變,此眾人所以為死也,而乃反以得活。此所謂徐而馳,遲於步也。夫走者,人之所以為疾也;步者,人之所以為遲也。今反乃以人之所為遲者反為疾,明於分也。有知徐之為疾,遲之為速者,則幾於道矣。

新字:使被衣不暇帯,冠不及正,蒲伏而走,上車而馳,必不能自免於千歩之中矣。今坐而正冠,起而更衣,徐行而出門,上車而歩馬,顏色不変,此眾人所以為死也,而乃反以得活。此所謂徐而馳,遅於歩也。夫走者,人之所以為疾也;歩者,人之所以為遅也。今反乃以人之所為遅者反為疾,明於分也。有知徐之為疾,遅之為速者,則幾於道矣。

書き下し

被衣して帶するに暇あらず、冠 正すに及ばず、蒲伏して走り、車に上りて馳せしめば、必ず自ら千步の中に免るる能わざらん。今 坐して冠を正し、起ちて衣を更え、徐かに行きて門を出で、車に上りて馬を步ましめ、顏色 變ぜざるは、此れ眾人の死を爲す所以にして、乃ち反って以て活くるを得たり。此れ所謂 徐かにして馳するは、步よりも遲しというなり。夫れ走るは、人の疾しと爲す所以なり。步むは、人の遲しと爲す所以なり。今 反って乃ち人の遲しと爲す所の者を以て反って疾しと爲すは、分に明らかなればなり。徐かなるの疾しと爲り、遲きの速しと爲るを知る者有らば、則ち道に幾し。

現代語訳

衣を引っかけて帯を締める暇もなく、冠を正す間もなく、這うようにして走り、車に乗って駆けさせたなら、必ず千歩と行かないうちに捕まっただろう。ところが座って冠を正し、立って衣を改め、ゆっくり門を出て、車に乗って馬を歩かせ、顔色ひとつ変えなかった。これは多くの人なら死ぬところで、かえって生きて帰れた。これがいわゆる「ゆっくりして駆けるほうが、走るより遅い」ということである。走るのは、人が速いと思うやり方である。歩くのは、人が遅いと思うやり方である。それなのに、人が遅いとするほうがかえって速くなるのは、身の程をわきまえているからである。ゆっくりが速く、遅いが速いと知る者があれば、道に近い。

解説

走れば追われ、歩けば追われない。同じ場面で、速さの意味がひっくり返ります。「徐かなるの疾しと爲り、遲きの速しと爲るを知る者有らば、則ち道に幾し」。急ぐ姿そのものが、追う側に理由を与えていました。慌てるという行為が、相手に「逃げている」と教えてしまう。落ち着きは態度ではなく、ここでは実際に速い手だったわけです。

この章句が説くこと

被衣して帯するに暇あらず冠正すに及ばず蒲伏して走らば必ず千歩の中に免るる能わざらん坐して冠を正し起ちて衣を更え顏色変ぜざるは此れ眾人の死を為す所以にして乃ち反って以て活くるを得たり走るは人の疾しと為す所以なり歩むは人の遅しと為す所以なり人の遅しと為す所の者を以て反って疾しと為すは分に明らかなればなり徐かなるの疾しと為り遅きの速しと為るを知る者有らば則ち道に幾し速さ

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