淮南子 / 人間訓
天下有三危:少德而多寵,一危也;才下而位高,二危也;身無大功而受厚祿,三危也。故物或損之而益,或益之而損。何以知其然也?昔者楚莊王既勝晉於河、雍之間,歸而封孫叔敖,辭而不受,病疽將死,謂其子曰:「吾則死矣,王必封女。女必讓肥饒之地,而受沙石之間有寑丘者,其地确石而名醜。荊人鬼,越人禨,人莫之利也。」孫叔敖死,王果封其子以肥饒之地,其子辭而不受,請有寑之丘。楚國之俗,功臣二世而爵祿,惟孫叔敖獨存。此所謂損之而益也。
新字:天下有三危:少徳而多寵,一危也;才下而位高,二危也;身無大功而受厚禄,三危也。故物或損之而益,或益之而損。何以知其然也?昔者楚荘王既勝晉於河、雍之間,帰而封孫叔敖,辞而不受,病疽将死,謂其子曰:「吾則死矣,王必封女。女必譲肥饒之地,而受沙石之間有寑丘者,其地确石而名醜。荊人鬼,越人禨,人莫之利也。」孫叔敖死,王果封其子以肥饒之地,其子辞而不受,請有寑之丘。楚国之俗,功臣二世而爵禄,惟孫叔敖独存。此所謂損之而益也。
書き下し
天下に三危有り。德 少なくして寵 多きは、一の危なり。才 下にして位 高きは、二の危なり。身に大功無くして厚祿を受くるは、三の危なり。故に物 或いは之を損して益し、或いは之を益して損す。何を以て其の然るを知るや。昔者 楚の莊王 既に晉に河・雍の間に勝ち、歸りて孫叔敖を封ぜんとするに、辭して受けず。疽を病みて將に死せんとするや、其の子に謂いて曰く「吾は則ち死せん。王 必ず女を封ぜん。女 必ず肥饒の地を讓りて、沙石の間 寑丘なる者有るを受けよ。其の地は确石にして名 醜し。荊人は鬼とし、越人は禨とす。人 之を利とすること莫きなり」と。孫叔敖 死し、王 果たして其の子を封ずるに肥饒の地を以てす。其の子 辭して受けず、寑の丘を有たんことを請う。楚國の俗、功臣は二世にして爵祿するも、惟だ孫叔敖のみ獨り存す。此れ所謂 之を損して益するなり。
現代語訳
天下に三つの危うさがある。徳が少ないのに寵愛が多いのが第一の危うさ。才が下なのに位が高いのが第二の危うさ。身に大きな功がないのに厚い禄を受けるのが第三の危うさである。だから物には、減らすことでかえって増えるものがあり、増やすことでかえって減るものがある。どうしてそうと分かるか。昔、楚の荘王が河と雍のあいだで晋に勝ち、帰って孫叔敖を封じようとしたが、辞退して受けなかった。腫れ物を病んで死のうとするとき、その子に言った。「わしは死ぬ。王は必ずお前を封じるだろう。お前は必ず肥えた土地を辞して、砂と石ばかりのなかにある寝丘という地を受けよ。その地は石だらけで名も悪い。楚の人は祟りを恐れ、越の人は忌む。誰も利があるとは思わない土地だ」と。孫叔敖が死ぬと、王は果たしてその子を肥えた土地に封じた。その子は辞退して受けず、寝丘をいただきたいと願い出た。楚の国の習わしでは、功臣の禄は二代までであったが、ただ孫叔敖の家だけが残った。これがいわゆる「減らしてかえって増える」である。
解説
この章句が説くこと
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