淮南子 / 詮言訓
洞同天地,渾沌為樸,未造而成物,謂之太一。同出於一,所為各異,有鳥、有魚、有獸,謂之分物。方以類別,物以群分,性命不同,皆形於有。隔而不通,分而為萬物,莫能及宗,故動而謂之生,死而謂之窮。皆為物矣,非不物而物物者也,物物者亡乎萬物之中。稽古太初,人生於無,形於有,有形而制於物。能反其所生,故未有形,謂之真人。真人者,未始分於太一者也。
新字:洞同天地,渾沌為樸,未造而成物,謂之太一。同出於一,所為各異,有鳥、有魚、有獣,謂之分物。方以類別,物以群分,性命不同,皆形於有。隔而不通,分而為万物,莫能及宗,故動而謂之生,死而謂之窮。皆為物矣,非不物而物物者也,物物者亡乎万物之中。稽古太初,人生於無,形於有,有形而制於物。能反其所生,故未有形,謂之真人。真人者,未始分於太一者也。
書き下し
天地に洞同し、渾沌として樸を爲し、未だ造らずして物を成す、之を太一と謂う。同じく一より出でて、爲す所 各々異なり、鳥有り、魚有り、獸有り、之を分物と謂う。方は類を以て別れ、物は群を以て分かれ、性命 同じからず、皆な有に形る。隔てて通ぜず、分かれて萬物と爲り、能く宗に及ぶ莫し。故に動くを之を生と謂い、死するを之を窮と謂う。皆な物と爲るなり。物ならずして物を物とする者に非ざるなり。物を物とする者は萬物の中に亡し。太初を稽うるに、人は無より生じ、有に形る。形有りて物に制せらる。能く其の生ずる所に反る。故に未だ形有らざる、之を真人と謂う。真人なる者は、未だ始めより太一より分かれざる者なり。
現代語訳
天地とともに行き渡り、混沌として素朴であり、まだ何も作らないうちに物を成す、これを太一という。同じ一つから出て、なすところがそれぞれ異なり、鳥があり、魚があり、獣がある、これを分かれた物という。方角は類ごとに分かれ、物は群ごとに分かれ、生まれつきも寿命も同じでなく、みな「有る」というかたちを取る。隔たって通じず、分かれて万物となり、その大もとに届くものはない。だから動いていることを生といい、死ぬことを窮まるという。どれも物になったのである。物ではないままに物を物たらしめるもの、ではない。物を物たらしめるものは、万物の中にはない。太初にさかのぼれば、人は無から生じ、有としてかたちを取る。かたちがあれば物に制せられる。生じたところへ返ることができる。だから、まだかたちを持たないもの、これを真人という。真人とは、はじめから太一から分かれていない者である。
解説
この章句が説くこと
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『淮南子』原道訓生に出でて死に入り、無より有に蹠み、有より無に蹠みて、以て衰賤す。是の故に清靜なる者は、德の至りなり。柔弱なる者は、道の要なり。虛無恬愉なる者は、萬物の用なり。肅然として感に應じ、殷然として本に反れば、則ち無形に淪む。所謂無形なる者は、一の謂いなり。所謂一なる者は、天下に匹合する無き者なり。卓然として獨り立ち、塊然として獨り處り、上は九天に通じ、下は九野を貫き、員なるも規に中らず、方なるも矩に中らず、大渾として一葉と為り、累なりて根無く、天地を懷囊し、道の關門と為り、穆忞隱閔、純德獨り存し、布施して既きず、之を用いて勤きず。是の故に之を視れども其の形を見ず、之を聽けども其の聲を聞かず、之に循えども其の身を得ず。無形にして有形生じ、無聲にして五音鳴り、無味にして五味形れ、無色にして五色成る。是の故に有は無より生じ、實は虛より出づ。天下之が圈と為れば、則ち名實居を同じくす。音の數は五に過ぎざるも、五音の變は勝げて聽く可からざるなり。味の和は五に過ぎざるも、五味の化は勝げて嘗む可からざるなり。色の數は五に過ぎざるも、五色の變は勝げて觀る可からざるなり。故に音は、宮立ちて五音形る。味は、甘立ちて五味亭る。色は、白立ちて五色成る。道は、一立ちて萬物生ず。是の故に一の理は、四海に施き、一の解は、天地に際る。其の全きや、純として樸の若く、其の散ずるや、混として濁の若し。濁りて徐ろに清み、沖にして徐ろに盈ち、澹として其れ深淵の若く、汎として其れ浮雲の若く、無きが若くして有り、亡ぶが若くして存す。萬物の總は、皆な一孔を閱し、百事の根は、皆な一門より出づ。其の動くや形無く、變化すること神の若く、其の行くや跡無く、常に後れて先んず。是の故に至人の治むるや、其の聰明を掩い、其の文章を滅し、道に依り智を廢し、民と出づるを公に同じくす。其の守る所を約にし、其の求むる所を寡なくし、其の誘慕を去り、其の嗜欲を除き、其の思慮を損ず。其の守る所を約にすれば則ち察かに、其の求むる所を寡なくすれば則ち得。夫れ耳目に任じて以て聽視する者は、形を勞して明らかならず。知慮を以て治を為す者は、心を苦しめて功無し。是の故に聖人は一度軌に循い、其の宜しきを變ぜず、其の常を易えず、準に放い繩を修め、曲がりて其の當に因る。
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『淮南子』俶真訓始め有る者有り、未だ始めより始め有らざる者有り、未だ始めより夫の未だ始めより始め有らざる者有り。有る者有り、無き者有り、未だ始めより有無有らざる者有り、未だ始めより夫の未だ始めより有無有らざる者有り。所謂始め有る者とは、繁憤未だ發せず、萌兆牙櫱、未だ形埒垠堮有らず、無無蝡蝡として、將に生興せんと欲して未だ物類を成さざるなり。未だ始めより始め有らざる者有りとは、天氣始めて下り、地氣始めて上り、陰陽錯合し、相い與に宇宙の間に優游競暢し、德を被り和を含み、繽紛蘢蓯として、物と接せんと欲して未だ兆朕を成さざるなり。未だ始めより夫の未だ始めより始め有らざる者有りとは、天は和を含みて未だ降さず、地は氣を懷きて未だ揚げず、虛無寂寞、蕭條霄雿として、仿佛たる有る無く、氣遂びて大いに冥冥に通ずる者なり。有る者有りとは、萬物摻落し、根莖枝葉、青蔥苓蘢、萑蔰炫煌、蠉飛蝡動、蚑行噲息、切循把握す可くして數量有るを言う。無き者有りとは、之を視れども其の形を見ず、之を聽けども其の聲を聞かず、之を捫すれども得可からざるなり、之を望めども極む可からざるなり。儲與扈冶、浩浩瀚瀚として、隱儀揆度す可からずして光耀に通ずる者なり。未だ始めより有無有らざる者有りとは、天地を包裹し、萬物を陶冶し、大いに混冥に通じ、深閎廣大にして、外と為す可からず、豪を析き芒を剖ちて、内と為す可からず、環堵の宇無くして有無の根を生ずるなり。未だ始めより夫の未だ始めより有無有らざる者有りとは、天地未だ剖かれず、陰陽未だ判たれず、四時未だ分かたれず、萬物未だ生ぜず、汪然として平靜、寂然として清澄、其の形を見る莫し。光燿の無有に間いて、退きて自ら失うが若し。曰く、予能く無を有せども、未だ無を無くする能わざるなり。其の無を無くするを為すに及びては、至妙何ぞ此に及ぶに從わんや、と。
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『淮南子』俶真訓夫の神掩う所無く、心載する所無く、通洞條達、恬漠無事、凝滯する所無く、虛寂にして以て待つが若きは、勢利も誘う能わず、辯者も說く能わず、聲色も淫する能わず、美なる者も濫す能わず、智者も動かす能わず、勇者も恐れしむる能わず。此れ真人の道なり。然る若き者は、萬物を陶冶し、造化者と人を為す。天地の間、宇宙の内、能く夭遏する莫し。夫れ生を化する者は死せずして、物を化する者は化せず。神は驪山・太行を經るも難ずる能わず、四海九江に入るも濡す能わず、小隘に處るも塞がらず、天地の間に橫扃するも窕ならず。此に通ぜざる者は、目に數千羊の群を數え、耳に八風の調を分かち、足に陽阿の舞を蹀み、手に綠水の趨に會し、智は天地を終え、明は日月を照らし、辯は連環を解き、澤は玉石を潤すと雖も、猶お天下を治むるに益無きなり。靜漠恬澹は、性を養う所以なり。和愉虛無は、德を養う所以なり。外内を滑さざれば、則ち性其の宜しきを得。性和を動かさざれば、則ち德其の位に安んず。生を養いて以て世を經め、德を抱きて以て年を終うるは、能く道を體すと謂う可し。然る若き者は、血脈鬱滯無く、五藏蔚氣無く、禍福も撓滑する能わず、非譽も塵垢する能わず。故に能く其の極を致す。其の世有るに非ずんば、孰か能く濟わんや。其の人有るも其の時に遇わずんば、身すら猶お脫する能わず、又た況んや道無きをや。且つ人の情、耳目は感動に應じ、心志は憂樂を知り、手足の疾𧒃を㩌ち、寒暑を辟くるは、物と接する所以なり。蜂蠆指を螫して神憺かなる能わず、蚉蝱膚を噆みて知平らかなる能わず。夫れ憂患の來たりて、人心を攖すは、直だ蜂蠆の螫毒、蚊劲の慘怛のみに非ず。而るに靜漠虛無ならんと欲するも、之を柰何せんや。
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『淮南子』原道訓夫れ太上の道は、萬物を生じて有せず、化像を成して宰らず。跂行喙息、蠉飛蝡動、待ちて後に生ずるも、之が德を知るもの莫く、待ちて後に死するも、之を怨む能うもの莫し。得て利する者も譽むる能わず、用いて敗るる者も非る能わず。收聚畜積するも富を加えず、佈施稟授するも貧を益さず。旋縣して究む可からず、纖微にして勤む可からず。之を累ねて高からず、之を墮して下らず、之を益して眾からず、之を損じて寡からず、之を斲りて薄からず、之を殺ぎて殘なわれず、之を鑿ちて深からず、之を填めて淺からず。忽たり怳たり、象を為す可からず。怳たり忽たり、用いて屈きず。幽たり冥たり、無形に應ず。遂たり洞たり、虛しく動かず。剛柔と卷舒し、陰陽と俛仰す。昔者馮夷・大丙の御するや、雲車に乘り、雲蜺に入り、微霧に游び、怳忽に騖せ、遠きを歷て高きを彌して以て往を極め、霜雪を經て跡無く、日光を照らして景無く、扶搖抮抱羊角して上り、山川を經紀し、昆侖を蹈騰し、閶闔を排し、天門に淪む。末世の御は、輕車良馬、勁策利鍛有りと雖も、之と先を爭う能わず。是の故に大丈夫は恬然として思う無く、澹然として慮る無し。天を以て蓋と為し、地を以て輿と為し、四時を馬と為し、陰陽を御と為す。雲に乘り霄を陵ぎ、造化者と俱にす。志を縱にし節を舒べ、以て大區を馳す。歩む可くして歩み、驟る可くして驟る。雨師をして道に灑がしめ、風伯をして塵を埽わしむ。電以て鞭策と為し、雷以て車輪と為す。上は霄雿の野に游び、下は無垠の門に出づ。劉覽偏照して、復た守るに全を以てす。四隅を經營し、還りて樞に反る。故に天を以て蓋と為せば、則ち覆わざる無きなり。地を以て輿と為せば、則ち載せざる無きなり。四時を馬と為せば、則ち使わざる無きなり。陰陽を御と為せば、則ち備わらざる無きなり。是の故に疾くして搖がず、遠くして勞せず、四支動かず、聰明損せずして、八紘九野の形埒を知る者は、何ぞや。道要の柄を執りて、無窮の地に游べばなり。是の故に天下の事は、為す可からざるなり、其の自然に因りて之を推す。萬物の變は、究む可からざるなり、其の要歸の趣を秉る。