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淮南子 / 天文訓

日出于暘谷,浴于咸池,拂于扶桑,是謂晨明。登于扶桑,爰始將行,是謂朏明。至于曲阿,是謂旦明。至于曾泉,是謂蚤食。至于桑野,是謂晏食。至于衡陽,是謂隅中。至于昆吾,是謂正中。至于鳥次,是謂小還。至于悲谷,是謂餔時。至于女紀,是謂大還。至于淵虞,是謂高舂。至于連石,是謂下舂。至于悲泉,爰止其女,爰息其馬,是謂縣車。至于虞淵,是謂黃昏。至于蒙谷,是謂定昏。日入于虞淵之汜,曙于蒙谷之浦,行九州七舍,有五億萬七千三百九里,禹以為朝、晝、昏、夜。

新字:日出于暘谷,浴于咸池,払于扶桑,是謂晨明。登于扶桑,爰始将行,是謂朏明。至于曲阿,是謂旦明。至于曽泉,是謂蚤食。至于桑野,是謂晏食。至于衡陽,是謂隅中。至于昆吾,是謂正中。至于鳥次,是謂小還。至于悲谷,是謂餔時。至于女紀,是謂大還。至于淵虞,是謂高舂。至于連石,是謂下舂。至于悲泉,爰止其女,爰息其馬,是謂県車。至于虞淵,是謂黄昏。至于蒙谷,是謂定昏。日入于虞淵之汜,曙于蒙谷之浦,行九州七舎,有五億万七千三百九里,禹以為朝、昼、昏、夜。

書き下し

日は暘谷に出で、咸池に浴し、扶桑に拂る。是を晨明と謂う。扶桑に登り、爰に始めて將に行かんとす。是を朏明と謂う。曲阿に至る。是を旦明と謂う。曾泉に至る。是を蚤食と謂う。桑野に至る。是を晏食と謂う。衡陽に至る。是を隅中と謂う。昆吾に至る。是を正中と謂う。鳥次に至る。是を小還と謂う。悲谷に至る。是を餔時と謂う。女紀に至る。是を大還と謂う。淵虞に至る。是を高舂と謂う。連石に至る。是を下舂と謂う。悲泉に至り、爰に其の女を止め、爰に其の馬を息う。是を縣車と謂う。虞淵に至る。是を黃昏と謂う。蒙谷に至る。是を定昏と謂う。日は虞淵の汜に入り、蒙谷の浦に曙く。九州七舍を行き、五億萬七千三百九里有り。禹以て朝・晝・昏・夜と為す。

現代語訳

日は暘谷に出て、咸池で浴び、扶桑をかすめる。これを晨明という。扶桑に登り、そこでいよいよ行こうとする。これを朏明という。曲阿に至る。これを旦明という。曾泉に至る。これを朝食どきという。桑野に至る。これを遅い食事どきという。衡陽に至る。これを隅中という。昆吾に至る。これを正午という。鳥次に至る。これを小さな折り返しという。悲谷に至る。これを夕食どきという。女紀に至る。これを大きな折り返しという。淵虞に至る。これを高舂という。連石に至る。これを下舂という。悲泉に至って、そこで御者の女を止め、そこで馬を休ませる。これを車を吊るすという。虞淵に至る。これを黄昏という。蒙谷に至る。これを定昏という。日は虞淵の入り江に入り、蒙谷の浦で明ける。九州の七つの宿を巡り、五億万七千三百九里ある。禹はこれをもって朝・昼・夕・夜とした。

解説

一日を、日の乗り物が通る地名で刻んだ段です。十六の地点それぞれに時刻の名が付いています。数字の時刻ではなく、場所と行程で時を表しているのが特徴でした。悲泉で御者を止めて馬を休ませる、そこを「縣車」と呼ぶ、といった具合に、日が沈む前のひと区切りまで旅程として描かれます。最後に禹がこれを四つにまとめた、と書かれていて、細かい行程と実用の区分が接続されています。

この章句が説くこと

日は暘谷に出で咸池に浴し扶桑に払る是を晨明と謂う昆吾に至る是を正中と謂う悲泉に至り爰に其の女を止め爰に其の馬を息う是を県車と謂う九州七舎を行き禹以て朝昼昏夜と為す時刻行程

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