淮南子 / 原道訓
九疑之南,陸事寡而水事眾,於是民人被髮文身,以像鱗蟲,短綣不恊,以便涉游,短袂攘卷,以便刺舟,因之也。鴈門之北,狄不穀食,賤長貴壯,俗尚氣力,人不弛弓,馬不解勒,便之也。故禹之裸國,解衣而入,衣帶而出,因之也。今夫徙樹者,失其陰陽之性,則莫不枯槁。故橘樹之江北則化而為枳,鴝鵒不過濟,貈渡汶而死,形性不可易,勢居不可移也。是故達於道者,反於清淨;究於物者,終於無為。以恬養性,以漠處神,則入於天門。所謂天者,純粹樸素,質直皓白,未始有與雜糅者也。所謂人者,偶䁟智故,曲巧偽詐,所以俛仰於世人而與俗交者也。故牛岐蹄而戴角,馬被髦而全足者,天也。絡馬之口,穿牛之鼻者,人也。循天者,與道游者也。隨人者,與俗交者也。
新字:九疑之南,陸事寡而水事眾,於是民人被髪文身,以像鱗虫,短綣不恊,以便渉游,短袂攘巻,以便刺舟,因之也。鴈門之北,狄不穀食,賤長貴壮,俗尚気力,人不弛弓,馬不解勒,便之也。故禹之裸国,解衣而入,衣帯而出,因之也。今夫徙樹者,失其陰陽之性,則莫不枯槁。故橘樹之江北則化而為枳,鴝鵒不過済,貈渡汶而死,形性不可易,勢居不可移也。是故達於道者,反於清浄;究於物者,終於無為。以恬養性,以漠処神,則入於天門。所謂天者,純粋樸素,質直皓白,未始有与雑糅者也。所謂人者,偶䁟智故,曲巧偽詐,所以俛仰於世人而与俗交者也。故牛岐蹄而戴角,馬被髦而全足者,天也。絡馬之口,穿牛之鼻者,人也。循天者,与道游者也。随人者,与俗交者也。
書き下し
九疑の南は、陸事寡くして水事眾し。是に於いて民人髮を被り身に文し、以て鱗蟲に像り、短綣にして恊せざるは、以て涉游に便なればなり。短袂に攘卷するは、以て刺舟に便なればなり。之に因ればなり。鴈門の北は、狄穀食せず、長を賤しみ壯を貴び、俗は氣力を尚び、人は弓を弛めず、馬は勒を解かず。之に便なればなり。故に禹の裸國にゆくや、衣を解きて入り、衣帶して出づるは、之に因ればなり。今夫れ樹を徙す者、其の陰陽の性を失えば、則ち枯槁せざる莫し。故に橘は江北に樹うれば則ち化して枳と為り、鴝鵒は濟を過ぎず、貈は汶を渡りて死す。形性は易う可からず、勢居は移す可からざるなり。是の故に道に達する者は清淨に反り、物を究むる者は無為に終わる。恬を以て性を養い、漠を以て神を處らしむれば、則ち天門に入る。所謂天なる者は、純粹樸素、質直皓白にして、未だ始めより與に雜糅する者有らざるなり。所謂人なる者は、偶䁟智故、曲巧偽詐にして、世人に俛仰して俗と交わる所以の者なり。故に牛は蹄岐かれて角を戴き、馬は髦を被りて足を全うするは、天なり。馬の口を絡し、牛の鼻を穿つは、人なり。天に循う者は、道と游ぶ者なり。人に隨う者は、俗と交わる者なり。
現代語訳
九疑山の南は、陸の仕事が少なく水の仕事が多い。そこで人々は髪を垂らし体に文様を入れて鱗のある生き物に似せ、裾の短い衣を合わせないのは、渡ったり泳いだりするのに都合がよいからである。袖が短く腕をまくっているのは、舟を漕ぐのに都合がよいからである。土地に従っているのだ。雁門の北は、狄が穀物を食べず、年長を軽んじ壮健を貴び、風俗は力を尊び、人は弓の弦を緩めず、馬は轡を外さない。そのほうが都合がよいからである。だから禹が裸の国に行ったときは、衣を脱いで入り、衣と帯をつけて出た。土地に従ったのである。いま木を移し植える者は、その陰陽の性を失えば、枯れないものはない。だから橘は長江の北に植えれば枳に変わり、九官鳥は済水を越えず、狢は汶水を渡ると死ぬ。形と性は変えられず、置かれた勢いは移せない。だから道に達した者は清らかで静かなところに返り、物を究める者は無為に終わる。安らかさで性を養い、静かさで神を落ち着かせれば、天の門に入る。天というのは、純粋で素朴、まっすぐで白く、はじめから何とも混じり合っていないものである。人というのは、あれこれ見比べる知恵と作為、まわりくどい巧みさと偽りで、世間の人に合わせて俗と交わるためのものである。だから牛の蹄が割れて角を戴き、馬がたてがみを被って蹄が全きなのは、天である。馬の口に轡をかけ、牛の鼻に穴を開けるのは、人である。天に従う者は、道とともに遊ぶ者である。人に従う者は、俗と交わる者である。
解説
この章句が説くこと
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