墨子 / 明鬼下
非惟若書之説為然也,昔者宋文君鮑之時,有臣曰觀辜固嘗従事於厲,株子杖揖出,與言曰:「觀辜,是何陸璧之不滿度量,酒醴粢盛之不浄潔也,犧牲之不牷肥,春夏秋冬選失時,豈女為之與?意鮑為之與?」觀辜曰:「鮑幼弱,在荷襁之中,鮑何與識焉?官臣觀辜特為之。」株子舉揖而槀之,殪之壇上。當是時,宋人従者莫不見,逺者莫不聞,著在宋之《春秋》。諸侯傳而語之曰:「諸不敬慎祭祀者,鬼神之誅,至若此其憯遬以若書之説觀之,鬼神之有,豈可疑哉?
新字:非惟若書之説為然也,昔者宋文君鮑之時,有臣曰観辜固嘗従事於厲,株子杖揖出,与言曰:「観辜,是何陸璧之不満度量,酒醴粢盛之不浄潔也,犠牲之不牷肥,春夏秋冬選失時,豈女為之与?意鮑為之与?」観辜曰:「鮑幼弱,在荷襁之中,鮑何与識焉?官臣観辜特為之。」株子舉揖而槀之,殪之壇上。当是時,宋人従者莫不見,遠者莫不聞,著在宋之《春秋》。諸侯伝而語之曰:「諸不敬慎祭祀者,鬼神之誅,至若此其憯遬以若書之説観之,鬼神之有,豈可疑哉?
書き下し
惟だ若の書の説のみ然りと為すに非ざるなり。昔者、宋の文君鮑の時、臣有りて観辜と曰う。固より嘗て厲に従事す。株子、杖き揖して出で、與に言いて曰く、「観辜、是れ何ぞ陸璧の度量に滿たず、酒醴粢盛の浄潔ならず、犧牲の牷肥ならず、春夏秋冬、選ぶこと時を失えるや。豈に女れ之を為せるか。意うに鮑、之を為せるか」と。観辜曰く、「鮑は幼弱にして、荷襁の中に在り。鮑、何ぞ識ることに與らんや。官臣たる観辜、特に之を為せり」と。株子、揖を舉げて之を槀ち、之を壇上に殪す。是の時に當たりて、宋人の従う者、見ざる莫く、逺き者、聞かざる莫し。宋の春秋に著し在り。諸侯、傳えて之を語りて曰く、「諸そ祭祀を敬慎せざる者は、鬼神の誅、至ること此くの若く其れ憯く遬やかなり」と。若の書の説を以て之を觀れば、鬼神の有ること、豈に疑う可けんや。
現代語訳
この書の記述だけがそうなのではない。むかし宋の文君鮑の時代に、観辜という臣がいた。もともと祭祀の職に就いていた。株子が杖をつき会釈して出てきて、こう言った。「観辜よ、なぜ玉が定めの寸法に足りず、酒と供物が清らかでなく、いけにえが完全で肥えておらず、春夏秋冬の祭りが時を外しているのか。お前がやったのか。それとも鮑がやったのか」。観辜は答えた。「鮑は幼くて、まだ背負い布のなかにいます。鮑がどうして知りましょう。役目にある私、観辜がやったのです」。株子は会釈のまま手を挙げて打ち、壇の上で仕留めた。このとき宋の従者で見ない者はなく、遠くの者で聞かない者はなかった。宋の『春秋』に記されている。諸侯はこれを伝えて言った。「祭祀を敬い慎まない者への鬼神の誅罰は、これほど厳しく速い」。この書の記述から見れば、鬼神が有ることをどうして疑えようか。
解説
この章句が説くこと
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