牧民忠告 / 拜命
赤子之生,無有知識,然母之者常先意得其所欲焉。其理無他,誠然而已矣。誠生愛,愛生智。惟其誠,故愛無不周;惟其愛,故智無不及。吏之於民,與是奚異哉?誠有子民之心,則不患其才智之不及矣。
新字:赤子之生,無有知識,然母之者常先意得其所欲焉。其理無他,誠然而已矣。誠生愛,愛生智。惟其誠,故愛無不周;惟其愛,故智無不及。吏之於民,与是奚異哉?誠有子民之心,則不患其才智之不及矣。
書き下し
赤子の生まるるや、知識有ること無し、然れども之を母たる者は常に意を先んじて其の欲する所を得。其の理他無し、誠然(せいぜん)たるのみ。誠は愛を生じ、愛は智を生ず。惟(こ)れ其れ誠なり、故に愛周(あまね)からざる無し。惟れ其れ愛なり、故に智及ばざる無し。吏の民に於けるや、是と奚(なん)ぞ異ならんや。誠に子民(しみん)の心有らば、則ち其の才智の及ばざるを患えず。
現代語訳
赤ん坊が生まれたばかりのころは、まだ何の判断力もない。しかし母親は、いつも赤ん坊の気持ちを先んじて察し、その求めるものを与えてやる。その理由は他でもなく、ただ誠の心があるからにほかならない。誠は愛を生み、愛は智恵を生む。誠があるからこそ、愛はあまねく行き渡らないところがなく、愛があるからこそ、智恵は及ばないところがない。役人が民に対する場合も、これと何ら変わることはない。もし本当に民を我が子のように思う心があれば、自分の才知が足りないことを心配する必要はない。
解説
この条は母子の情愛を比喩として用い、統治における「誠」の優位性を説く。知識や才知よりも先に誠の心があってこそ、それが愛を生み、愛がやがて具体的な智恵として結実するという因果の順序を示している点が特徴的である。実務書でありながら、技術や知識の習得よりもまず動機の純粋さを説くのは、末端の判断力は制度だけでは補えず、対象への誠実な関心があってはじめて適切な判断ができるという経験則に基づくのだろう。現代のマネジメントにおいても、部下や顧客への誠実な関心があってこそ、細やかな配慮や的確な対応が生まれるという点で示唆に富む。
この章句が説くこと
心誠愛民智無不及誠愛智
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