説苑 / 善說
襄成君始封之日,衣翠衣,帶玉劍,履縞舄,立於遊水之上,大夫擁鍾錘,縣令執桴號令,呼:「誰能渡王者於是也?」楚大夫莊辛,過而說之,遂造託而拜謁,起立曰:「臣願把君之手,其可乎?」襄成君忿作色而不言。莊辛遷延沓手而稱曰:「君獨不聞夫鄂君子皙之汎舟於新波之中也?乘青翰之舟,極䓣芘,張翠蓋而㩉犀尾,班麗褂衽,會鍾鼓之音,畢榜枻越人擁楫而歌,歌辭曰:『濫兮抃草濫予昌枑澤予昌州州𩜱州焉乎秦胥胥縵予乎昭澶秦踰滲惿隨河湖。』鄂君子皙曰:『吾不知越歌,子試為我楚說之。』於是乃召越譯,乃楚說之曰:『今夕何夕搴中洲流,今日何日兮,得與王子同舟。蒙羞被好兮,不訾詬恥,心幾頑而不絕兮,知得王子。山有木兮木有枝,心說君兮君不知。』於是鄂君子皙乃㩉脩袂,行而擁之,舉繡被而覆之。鄂君子皙,親楚王母弟也。官為令尹,爵為執珪,一榜枻越人猶得交歡盡意焉。今君何以踰於鄂君子皙,臣何以獨不若榜枻之人,願把君之手,其不可何也?」襄成君乃奉手而進之,曰:「吾少之時,亦嘗以色稱於長者矣。未嘗過僇如此之卒也。自今以後,願以壯少之禮謹受命。」
新字:襄成君始封之日,衣翠衣,帯玉剣,履縞舄,立於遊水之上,大夫擁鍾錘,県令執桴号令,呼:「誰能渡王者於是也?」楚大夫荘辛,過而説之,遂造託而拝謁,起立曰:「臣願把君之手,其可乎?」襄成君忿作色而不言。荘辛遷延沓手而称曰:「君独不聞夫鄂君子皙之汎舟於新波之中也?乗青翰之舟,極䓣芘,張翠蓋而㩉犀尾,班麗褂衽,会鍾鼓之音,畢榜枻越人擁楫而歌,歌辞曰:『濫兮抃草濫予昌枑沢予昌州州𩜱州焉乎秦胥胥縵予乎昭澶秦踰滲惿随河湖。』鄂君子皙曰:『吾不知越歌,子試為我楚説之。』於是乃召越訳,乃楚説之曰:『今夕何夕搴中洲流,今日何日兮,得与王子同舟。蒙羞被好兮,不訾詬恥,心幾頑而不絶兮,知得王子。山有木兮木有枝,心説君兮君不知。』於是鄂君子皙乃㩉脩袂,行而擁之,舉繡被而覆之。鄂君子皙,親楚王母弟也。官為令尹,爵為執珪,一榜枻越人猶得交歓尽意焉。今君何以踰於鄂君子皙,臣何以独不若榜枻之人,願把君之手,其不可何也?」襄成君乃奉手而進之,曰:「吾少之時,亦嘗以色称於長者矣。未嘗過僇如此之卒也。自今以後,願以壮少之礼謹受命。」
書き下し
襄成君始めて封ぜらるるの日、翠衣を衣、玉劍を帶び、縞舄を履き、遊水の上に立つ。大夫は鍾錘を擁し、縣令は桴を執りて號令し、呼びて曰く、「誰か能く王者を是に渡さんや。」楚の大夫莊辛、過ぎて之を說び、遂に造託して拜謁し、起立して曰く、「臣君の手を把らんと願う、其れ可ならんか。」襄成君忿りて色を作して言わず。莊辛遷延して手を沓し稱して曰く、「君獨り夫の鄂君子皙の新波の中に舟を汎ぶるを聞かざるか。青翰の舟に乘り、䓣芘を極め、翠蓋を張りて犀尾を㩉げ、班麗の褂衽、鍾鼓の音に會し、榜枻を畢えて越人楫を擁して歌う。歌辭に曰く、『濫兮抃草濫予昌枑澤予昌州州𩜱州焉乎秦胥胥縵予乎昭澶秦踰滲惿隨河湖。』鄂君子皙曰く、『吾越歌を知らず、子試みに我が爲に楚を以て之を說け。』是に於て乃ち越譯を召し、乃ち楚を以て之を說きて曰く、『今夕は何の夕ぞ中洲の流れを搴る。今日は何の日ぞ、王子と舟を同じくするを得たり。羞を蒙り好を被れども、詬恥を訾らず、心幾ど頑にして絕えざるも、王子を知り得たり。山に木有り木に枝有り、心に君を說べども君知らず。』是に於て鄂君子皙乃ち脩袂を㩉げ、行きて之を擁し、繡被を舉げて之を覆う。鄂君子皙は、親しく楚王の母弟なり。官は令尹と爲り、爵は執珪と爲る。一榜枻の越人すら猶お交歡盡意するを得たり。今君何を以て鄂君子皙に踰えんや、臣何を以て獨り榜枻の人に若かざらんや。君の手を把らんと願う、其れ不可なる何ぞや。」襄成君乃ち手を奉げて之を進め、曰く、「吾少きの時、亦た嘗て色を以て長者に稱せられたり。未だ嘗て此くの如きの卒に僇を過ぐるあらず。今より以後、願わくは壯少の禮を以て謹んで命を受けん。」
現代語訳
襄成君が初めて領地を封じられた日、翡翠色の衣を着て、玉の剣を帯び、白絹の履物を履いて、川べりに立っていた。大夫たちは鐘や槌を持ち、県令はバチを執って号令し、『誰か殿様をここから渡せる者はいないか』と呼びかけた。楚の大夫、荘辛はそこを通りかかってこの様子を喜び、進み出て拝謁し、立ち上がって言った。『私はあなた様の手を取らせていただきたいのですが、よろしいでしょうか。』襄成君は怒って顔色を変え、何も言わなかった。荘辛はためらいつつ手を引っ込め、こう述べた。『あなたは、あの鄂君子皙が新しい波の中に舟を浮かべた話をお聞きになったことがありませんか。青い翰の舟に乗り、美しい飾りを極め、翡翠の天蓋を張って犀の尾の飾りを掲げ、色鮮やかな衣をまとい、鐘や太鼓の音に合わせて、船を漕ぎ終えた越人が櫂を抱えて歌いました。その歌詞は越の言葉で綴られたものでした。鄂君子皙は『私は越の歌が分からない。試しに私のために楚の言葉で説明してくれ』と言いました。そこで越の通訳を呼び、楚の言葉で訳させて言いました。『今夜はどんな夜なのでしょう、中洲の流れを漕いでいます。今日はどんな日なのでしょう、王子様と同じ舟に乗ることができました。恥をこらえ、ご厚意を被っても、そしりや恥を気にせず、心はかたくなでも絶えることなく、王子様を知ることができました。山に木があり木に枝があるように、心の中であなた様を慕っていますが、あなた様はご存じない。』そこで鄂君子皙は長い袖をまくり上げ、進み出て彼(船頭の越人)を抱き、刺繍の掛け布団を持ち上げて彼を覆いました。鄂君子皙は楚王の母を同じくする弟であり、官職は令尹、爵位は執珪という高位でした。それでも一介の船頭である越人でさえ、心を通わせ思いを尽くすことができたのです。今、あなたはどうして鄂君子皙より優れているというのでしょうか。私がどうして一介の船頭にすら及ばないというのでしょうか。あなた様の手を取らせていただきたいと願うことの、何が不可なのでしょうか。』襄成君はそこで手を差し出して進み出させ、言った。『私が若かった頃、かつて容姿によって年長者から褒められたこともありました。しかし、これほど急に叱責されたことはまだございません。今よりのちは、壮年と若輩の礼をもって謹んで仰せを承りましょう。』
解説
この章句が説くこと
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説苑・善說蘧伯玉使いして楚に至る。公子皙に濮水の上に逢う。子皙草を接げて待ちて曰く、「敢えて問う上客將に何くにか之かんとする。」蘧伯玉之が爲に車に軾す。公子皙曰く、「吾聞く、上士は以て色を託すべく、中士は以て辭を託すべく、下士は以て財を託すべし、三者固より身を託すを得べきか。」蘧伯玉曰く、「謹んで命を受けん。」蘧伯玉楚王に見ゆ。使事畢りて、坐して談話し、從容として言い士に至る。楚王曰く、「何れの國か最も士多き。」蘧伯玉曰く、「楚最も士多し。」楚王大いに悅ぶ。蘧伯玉曰く、「楚最も士多くして楚用うる能わず。」王造然として曰く、「是れ何の言ぞや。」蘧伯玉曰く、「伍子胥楚に生まれて之を吳に逃る。吳受けて之を相とす。兵を發して楚を攻め、平王の墓を墮す。伍子胥楚に生まれて、吳善く之を用う。蚡黃を釁して楚に生まれ、之を晉に走らしめ、七十二縣を治め、道遺を拾わず、民妄りに得ず、城郭閉ざさず、國に盜賊無し。蚡黃楚に生まれて晉善く之を用う。今者臣の來るや、公子皙に濮水の上に逢う。辭に言う、『上士は以て色を託すべく、中士は以て辭を託すべく、下士は以て財を託すべし、三者固より身を託すを得べきか。』又た公子皙將に何くにか治めんとするかを知らず。」是に於て楚王使い一駟を發し、副使二乘、公子皙を濮水の上に追う。子皙楚に還り重んぜらる、蘧伯玉の力なり。故に詩に曰く、「誰か能く魚を烹ん、之を釜鬵に溉がん、孰か將に西に歸らんとす、之に好音を懷かん。」此れを之れ謂うなり。物の相得るは、固より微甚たり。
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戦国策・莊辛謂楚襄王荘辛、楚の襄王に謂いて曰く、「君王、左に州侯、右に夏侯、輦に鄢陵君と壽陵君とを従え、専ら淫逸侈靡にして、国政を顧みず、郢都必ず危うからん。」襄王曰く、「先生老いて悖(もう)せるか。将に以て楚国の祅祥(ようしょう)と為さんとするか。」荘辛曰く、「臣誠に其の必然なる者を見るなり、敢えて以て国の祅祥と為すに非ざるなり。君王卒に四子を幸して衰えざれば、楚国必ず亡びん。臣請う趙に辟け、淹留して以て之を観ん。」荘辛去りて趙に之き、留まること五月、秦果たして鄢・郢・巫・上蔡・陳の地を挙げ、襄王流れて城陽に揜わる。是に於て人をして騶を発せしめ、荘辛を趙に徴す。荘辛曰く、「諾。」荘辛至るに、襄王曰く、「寡人先生の言を用うる能わず、今事此に至る、之を奈何せん。」荘辛対えて曰く、「臣聞く鄙語に曰く、『兔を見て犬を顧みるは、未だ晩しと為さず。羊を亡いて牢を補うは、未だ遅しと為さず』と。臣聞く昔、湯・武は百里を以て昌え、桀・紂は天下を以て亡ぶ、と。今、楚国小なりと雖も、長を絶ちて短を続げば、猶お数千里を以てす、豈に特に百里のみならんや。」「王独り夫の蜻蛉を見ずや。六足四翼、天地の間に飛翔し、俛して蚊虻を啄みて之を食い、仰ぎて甘露を承けて之を飲み、自ら以て患い無く、人と争う無しと為す。夫の五尺の童子、方に鈆膠糸を調え、己に四仞の上に加えんとして、下りて螻蟻の食と為るを知らざるなり。蜻蛉は其れ小なる者なり、黄雀是に因る。俯して白粒を噣み、仰ぎて茂樹に棲み、翅を鼓し翼を奮い、自ら以て患い無く、人と争う無しと為す。夫の公子王孫、左に弾を挟み右に丸を攝り、将に己に十仞の上に加えんとして、其の類を以て招と為すを知らざるなり。昼は茂樹に游び、夕べには酸鹹に調えられ、倏忽の間に、公子の手に墜つ。」「夫れ雀は其れ小なる者なり、黄鵠是に因る。江海に游び、大沼に淹り、府して䱧鯉を噣み、仰ぎて陵衡を嚙み、其の六翮を奮いて、清風を凌ぎ、飄搖として高く翔り、自ら以て患い無く、人と争う無しと為す。夫の射者の、方に其の𦲱盧を脩め、其の繒繳を治め、将に己に百仞の上に加えんとするを知らざるなり。彼の礛磻、微繳を引き、清風を折りて抎つ。故に昼は江河に游び、夕べには鼎鼐に調えらる。」「夫れ黄鵠は其れ小なる者なり、蔡の聖侯の事是に因る。南のかた高陂に游び、北のかた巫山に陵り、茹谿の流れを飲み、湘波の魚を食い、左に幼妾を抱き、右に嬖女を擁し、之と高蔡の中に馳騁して、国家を以て事と為さず。夫の子発の方に宣王に命を受け、己を朱糸を以て繫ぎて之に見ゆるを知らざるなり。」「蔡の聖侯の事は其れ小なる者なり、君王の事是に因る。左に州侯、右に夏侯を置き、鄢陵君と壽陵君とを輩従し、封禄の粟を飯い、方府の金を戴き、之と雲夢の中に馳騁して、天下国家を以て事と為さず。夫の穰侯の方に秦王に命を受け、黽塞の内を填め、己を黽塞の外に投ずるを知らざるなり。」襄王之を聞き、顔色変作し、身体戦慄す。是に於て乃ち執珪を以て之に授けて陽陵君と為し、淮北の地を与う。
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