説苑 / 復恩
孔子曰:「德不孤,必有鄰。」夫施德者貴不德,受恩者尚必報;是故臣勞勤以為君而不求其賞,君持施以牧下而無所德,故易曰:「勞而不怨,有功而不德,厚之至也。」君臣相與以市道接,君縣祿以待之,臣竭力以報之;逮臣有不測之功,則主加之以重賞,如主有超異之恩,則臣必死以復之。孔子曰:北方有獸,其名曰蟨,前足鼠,後足兔,是獸也,甚矣其愛蛩蛩巨虛也,食得甘草,必齧以遺蛩蛩巨虛,蛩蛩巨虛見人將來,必負蟨以走,蟨非性之愛蛩蛩巨虛也,為其假足之故也,二獸者亦非性之愛蟨也,為其得甘草而遺之故也。夫禽獸昆蟲猶知比假而相有報也,況於士君子之欲與名利於天下者乎!夫臣不復君之恩而苟營其私門,禍之源也;君不能報臣之功而憚刑賞者,亦亂之基也。夫禍亂之原基,由不報恩生矣。
新字:孔子曰:「徳不孤,必有鄰。」夫施徳者貴不徳,受恩者尚必報;是故臣労勤以為君而不求其賞,君持施以牧下而無所徳,故易曰:「労而不怨,有功而不徳,厚之至也。」君臣相与以市道接,君県禄以待之,臣竭力以報之;逮臣有不測之功,則主加之以重賞,如主有超異之恩,則臣必死以復之。孔子曰:北方有獣,其名曰蟨,前足鼠,後足兔,是獣也,甚矣其愛蛩蛩巨虚也,食得甘草,必齧以遺蛩蛩巨虚,蛩蛩巨虚見人将来,必負蟨以走,蟨非性之愛蛩蛩巨虚也,為其仮足之故也,二獣者亦非性之愛蟨也,為其得甘草而遺之故也。夫禽獣昆虫猶知比仮而相有報也,況於士君子之欲与名利於天下者乎!夫臣不復君之恩而苟営其私門,禍之源也;君不能報臣之功而憚刑賞者,亦乱之基也。夫禍乱之原基,由不報恩生矣。
書き下し
孔子曰く、「徳は孤ならず、必ず鄰有り」と。夫れ徳を施す者は徳とせられざるを貴び、恩を受くる者は尚ほ必ず報ゆ。是の故に臣勤労して以て君の為にすれども其の賞を求めず、君施を持して以て下を牧すれども徳とする所無し。故に易に曰く、「勞して怨みず、功有りて徳とせず、厚きの至りなり」と。君臣相与に市道を以て接すれば、君祿を縣けて以て之を待ち、臣力を竭くして以て之に報ゆ。臣不測の功有るに逮びては、則ち主之に加ふるに重賞を以てし、如し主超異の恩有らば、則ち臣必ず死を以て之に復す。孔子曰く、「北方に獣有り、其の名を蟨と曰ふ、前足は鼠、後足は兔、是の獣や、甚だ蛩蛩巨虚を愛す、甘草を食ひ得れば、必ず齧りて以て蛩蛩巨虚に遺る、蛩蛩巨虚は人の将に来らんとするを見れば、必ず蟨を負ひて以て走る、蟨は性として蛩蛩巨虚を愛するに非ざるなり、其の足を仮る故を為してなり、二獣も亦た性として蟨を愛するに非ざるなり、其の甘草を得て之に遺る故を為してなり」と。夫れ禽獣昆虫すら猶ほ比假して相報ゆる有るを知る、況んや士君子の名利を天下に与にせんと欲する者に於てをや。夫れ臣君の恩に復いずして苟くも其の私門を営むは、禍の源なり、君臣の功に報いずして刑賞を憚る者は、亦た乱の基なり。夫れ禍乱の原基は、恩に報いざるに由りて生ずるなり。
現代語訳
孔子は言った、「徳のある者は孤立しない、必ず理解し合える仲間が現れる」と。そもそも徳を施す者は、それを恩に着せられることを望まず、恩を受けた者はそれでも必ず恩に報いようとする。だからこそ臣下は君主のために勤め励みながらもその見返りを求めず、君主は施しを与えて臣下を治めながらもそれを恩に着せることがない。だから易経にいう、「労苦しても怨まず、功績があっても恩に着せない、これが厚徳の極みである」と。もし君臣が互いに取引のような打算の関係で接するならば、君主は俸禄を掲げてそれで臣下を待遇し、臣下は力を尽くしてそれに報いるだけの関係になる。しかし臣下に思いもよらぬほどの功績があれば、主君は格別の重い褒賞を与え、もし主君に並外れた恩恵があれば、臣下は必ず命をかけてそれに報いる。孔子は言った、「北方にある獣がいて、その名を蟨という。前足は鼠のようで後足は兎のようだ。この獣は、蛩蛩巨虚という別の獣をたいそう愛している。おいしい草を得ると、必ずそれをかじって蛩蛩巨虚に分け与える。蛩蛩巨虚は人が近づいてくるのを見ると、必ず蟨を背負って逃げる。蟨は生まれつき蛩蛩巨虚を愛しているわけではなく、自分の足の代わりを借りているからそうするのであり、この二つの獣もまた生まれつき蟨を愛しているわけではなく、おいしい草を得て分けてもらっているからそうするのである」と。そもそも禽獣や昆虫でさえ互いに助け合い報い合うことを知っているのに、まして天下に名誉と利益を共にしようとする士君子においてはなおさらである。臣下が君主の恩に報いずに勝手に自分の私的な勢力づくりに励むのは、禍の根源であり、君主が臣下の功績に報いず刑罰や褒賞をためらうのも、乱の始まりである。そもそも禍や乱の根本原因は、恩に報いないところから生まれるのである。
解説
この章句が説くこと
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説苑・說叢君子は義を比べ、農夫は穀を比ぶ。君に事えて其の言を進むるを得ざれば、則ち其の爵を辭す。其の義を行うを得ざれば、則ち其の祿を辭す。人皆取るの取ると為るを知るも、與うるの之を取ると為るを知らず。政に寇を招く有り、行いに恥を招く有り。為さずして自ら至るは、天下未だ有らざるなり。
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説苑・復恩東閭子嘗て富貴にして後に乞ふ、人之に問ひて曰く、「公何為れぞ是くの如きか」と。曰く、「吾自ら知る、吾嘗て相たること六七年、未だ嘗て一人をも荐めず、吾嘗て三千万を富むこと再びせしも、未だ嘗て一人をも富ましめず、士出身の咎然たるを知らざるなり。孔子曰く、『物の難きこと、小大多少各々怨悪有り、数の理なり、人にして之を得るは、外の之を仮すに在り』と」と。
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説苑・貴德孔子曰く、「里は仁を美と為す、択びて仁に処らずんば、焉んぞ智を得ん」と。夫れ仁者は、必ず恕して然る後に行ふ、行ひ一たび不義にして、一無罪を殺さば、以て高官大位を得と雖も、仁者は為さざるなり。夫れ大仁は、近きを愛して以て遠きに及び、其の諧はざる所有るに及びては、則ち小仁を虧きて以て大仁に就く。大仁は、恩四海に及ぶ、小仁は、妻子に止まる。妻子は、其の知の利を営むを以て、婦人の恩を以て之を撫し、其の内情を飾り、其の偽を雕画す、孰か其の真に非ざるを知らんや。時に栄を蒙ると雖も、然れども士君子は以て大辱と為す。故に共工・驩兜・符里・鄧析、其の智識する所無きに非ざるなり、然れども聖王の誅する所と為る者は、徳無くして苟くも利するを以てなり。豎刁・易牙、体を毀ち子を殺して以て利を干む、卒に賊と斉に為る。故に人臣仁ならざれば、篡弑の乱生じ、人臣にして仁なれば、国治まり主栄ゆ。明主焉を察すれば、宗廟大いに寧し。夫れ人臣すら猶ほ仁を貴ぶ、況んや人主に於てをや。故に桀紂は不仁を以て天下を失ひ、湯武は積徳を以て海土を有つ。是を以て聖王は徳を貴びて之を務め行ふ。孟子曰く、「恩を推せば以て四海に及ぶに足り、恩を推さざれば以て妻子を保つに足らず。古人の大いに人に過ぐる所以の者は他無し、善く其の有る所を推すのみ」と。
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『淮南子』主術訓夫れ臣主の相い與するや、父子の厚き、骨肉の親しき有るに非ず。而も力を竭くし死を殊にし、其の軀を辭せざる者は、何ぞや。勢の之をして然らしむる有るなり。昔者 豫讓は、中行文子の臣なり。智伯 中行氏を伐ち、其の地を併吞す。豫讓 其の主に背きて智伯に臣たり。智伯 趙襄子と晉陽の下に戰い、身死して戮と為り、國 分かれて三と為る。豫讓 趙襄子に報いんと欲し、身を漆して厲と為し、炭を吞みて音を變じ、齒を擿きて貌を易う。夫れ一人の心を以て兩主に事え、或いは背きて去り、或いは身を以て之に徇わんと欲す。豈に其の趨舍厚薄の勢 異ならんや。人の恩澤 之をして然らしむるなり。紂 天下を兼ね、諸侯を朝せしめ、人跡の及ぶ所、舟楫の通ずる所、賓服せざる莫し。然れども武王の甲卒三千人、之を牧野に禽にす。豈に周民 節に死して、殷民 背叛せんや。其の主の義德 厚くして號令 行わるればなり。夫れ疾風にして波 興り、木 茂りて鳥 集まるは、相生の氣なり。是の故に臣 其の欲する所を君に得ざれば、君も亦た其の求むる所を臣に得る能わざるなり。君臣の施は、相い報ゆるの勢なり。是の故に臣 力を盡くし節に死して以て君に與し、君 功を計り爵を垂れて以て臣に與う。是の故に君は無功の臣を賞する能わず、臣も亦た無德の君に死する能わず。君德 民に下流せずして、之を用いんと欲するは、鞭にて馬を蹄うるがごとし。是れ猶お雨を待たずして稼を熟せしむるがごとく、必ず不可の數なり。
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貞観政要・君臣鑑戒夫れ君臣相い遇うは、古より難しと為す。石を以て水に投ずるは、千載に一たび合す。水を以て石に投ずるは、時として有らざる無し。其の能く至公の道を開き、天下の用を申(の)べ、内は心膂を尽くし、外は股肱を竭くし、和すること塩梅の若く、固きこと金石を同じくする者は、惟だ高位厚秩のみに非ず、之を礼するに在るのみ。昔、周の文王、鳳皇の墟に遊ぶ。襪(べつ)の系(お)解く。左右を顧みるに使うべき者莫し。乃ち自ら之を結ぶ。豈に周文の朝、尽く俊乂と為り、聖明の代、独り君子無からんや。但だ知ると知らざると、礼すると礼せざるとのみ。是を以て伊尹は有莘の媵臣、韓信は項氏の亡命なり。殷湯は礼を致し、王業を南巣に定む。漢祖は壇に登り、帝功を垓下に成す。若し夏桀にして伊尹を棄てず、項羽にして韓信に恩を垂れなば、寧ぞ肯えて已に成れる国を敗りて滅亡の虜と為らんや。又た微子は骨肉なり。茅土を宋に受く。箕子は良臣なり。『洪範』を周に陳ぶ。仲尼は其の仁を称す。之を非とする者有る莫し。『礼記』に称す、「魯の穆公、子思に問いて曰く、『旧君の為に反服するは、古なるか』と。子思曰く、『古の君子は、人を進むるに礼を以てし、人を退くるに礼を以てす。故に旧君の為に反服するの礼有り。今の君子は、人を進むるに将に諸(これ)を膝に加えんとするが若く、人を退くるに将に諸を淵に隊(お)とさんとするが若し。戎首と為る毋(な)くんば、亦た善からずや。又た何ぞ反服の礼のこれ有らんや』と」と。斉の景公、晏子に問いて曰く、「忠臣の君に事うるは之を如何」と。晏子対えて曰く、「難有るも死せず、出亡するも送らず」と。公曰く、「地を裂きて以て之を封じ、爵を疏(わか)ちて以て之を待つ。難有るも死せず、出亡するも送らざるは、何ぞや」と。晏子曰く、「言いて用いられなば、終身難無し。臣何ぞ死せんや。諫めて納れられなば、終身亡びず。臣何ぞ送らんや。若し言いて用いられず、難有りて死せば、是れ妄死なり。諫めて納れられず、出亡して送らば、是れ詐忠なり」と。『春秋左氏伝』に曰く、「崔杼、斉の荘公を弑す。晏子は崔氏の門外に立つ。其の人曰く、『死せんか』と。曰く、『独り吾が君ならんや。吾死せんや』と。曰く、『行かんか』と。曰く、『吾が罪ならんや。吾亡びんや。故に君、社稷の為に死せば、則ち之に死す。社稷の為に亡びば、則ち之に亡ぶ。若し己が為に死し、己が為に亡びば、其の親暱(しんじつ)に非ざれば、誰か敢えて之に任ぜんや』と。門啓きて入り、屍を枕にし股にして哭す。興(た)ち、三たび踴(おど)りて出づ」と。孟子曰く、「君、臣を視ること手足の如くんば、臣、君を視ること腹心の如し。君、臣を視ること犬馬の如くんば、臣、君を視ること国人の如し。君、臣を視ること糞土の如くんば、臣、君を視ること寇讎の如し」と。臣の君に事うるに二志無しと雖も、去就の節に至りては、当に恩の厚薄に縁るべし。然らば則ち人主たる者、安くんぞ以て下に礼無かるべけんや。
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論語・八佾篇定公問う、「君臣を使い、臣君に事うるは、之を如何。」孔子対えて曰く、「君は臣を使うに礼を以てし、臣は君に事うるに忠を以てす。」