呂氏春秋 / 勿躬②
大橈作甲子,黔如作虜首,容成作厤,羲和作占日,尚儀作占月,后益作占歲,胡曹作衣,夷羿作弓,祝融作市,儀狄作酒,高元作室,虞姁作舟,伯益作井,赤冀作臼,乘雅作駕,寒哀作御,王冰作服牛,史皇作圖,巫彭作醫,巫咸作筮,此二十官者,聖人之所以治天下也。聖王不能二十官之事,然而使二十官盡其巧、畢其能,聖王在上故也。聖王之所不能也、所以能之也,所不知也、所以知之也。養其神、脩其德而化矣,豈必勞形愁弊耳目哉?是故聖王之德,融乎若月之始出,極燭六合而無所窮屈;昭乎若日之光,變化萬物而無所不行。神合乎太一,生無所屈,而意不可障;精通乎鬼神,深微玄妙,而莫見其形。今日南面,百邪自正,而天下皆反其情,黔首畢樂其志、安育其性、而莫為不成。故善為君者,矜服性命之情,而百官已治矣,黔首已親矣,名號已章矣。
新字:大橈作甲子,黔如作虜首,容成作厤,羲和作占日,尚儀作占月,后益作占歲,胡曹作衣,夷羿作弓,祝融作市,儀狄作酒,高元作室,虞姁作舟,伯益作井,赤冀作臼,乗雅作駕,寒哀作御,王冰作服牛,史皇作図,巫彭作医,巫咸作筮,此二十官者,聖人之所以治天下也。聖王不能二十官之事,然而使二十官尽其巧、畢其能,聖王在上故也。聖王之所不能也、所以能之也,所不知也、所以知之也。養其神、脩其徳而化矣,豈必労形愁弊耳目哉?是故聖王之徳,融乎若月之始出,極燭六合而無所窮屈;昭乎若日之光,変化万物而無所不行。神合乎太一,生無所屈,而意不可障;精通乎鬼神,深微玄妙,而莫見其形。今日南面,百邪自正,而天下皆反其情,黔首畢楽其志、安育其性、而莫為不成。故善為君者,矜服性命之情,而百官已治矣,黔首已親矣,名号已章矣。
書き下し
大橈は甲子を作り、黔如は虜首を作りではないかと云う。陳奇猷は之に因り、閏月を決める法則と解釈する)、容成は厤を作り、羲和は占日を作り、尚儀は占月を作り,后益は占歲を作り、胡曹は衣を作り、夷羿は弓を作り、祝融は市を作り、儀狄は酒を作り、高元は室を作り、虞姁は舟を作り、伯益は井を作り、赤冀は臼を作り、乘雅は駕を作り、寒哀は御を作り、王冰は服牛を作り、史皇は圖を作り、巫彭は醫を作り、巫咸は筮を作る。此の二十官は、聖人の天下を治むる所以なり。聖王は二十官の事を能くせず。然れども二十官をして其の巧を盡きくし、其の能を畢くさしるむるは、聖王上に在るが故なり。聖王の能くせざる所や、之を能くする所以なり。知らざる所や、之を知る所以なり。其の神を養い、其の徳を脩めて化す。豈に必ずしも勞形愁慮して耳目を弊れしめんや。是の故に聖王の德、融乎として月の始めて出づるが若く、六合を極燭して、窮屈する所無く、昭乎として日の光の若く、萬物を變化して行かざる所無し。神、太一に合し、生、屈する所無くして、意は障ぐ可からず。精は鬼神に通じ、深微玄妙にして、其の形を見る莫し。今日南面すれば、百邪は自ら正しくして、天下は皆其の情に反り、黔首は畢く其の志を樂しむ。其の性を安育して、為さんとして成らざる莫し。故に善く君為る者は、性命の情を矜服して、百官已て治まり、黔首已て親しみ、名號已て章わる。
現代語訳
大橈は干支を作り、黔如は閏月の法を作り、容成は暦を作り、羲和は太陽の運行の占いを作り、尚儀は月の運行の占いを作り、后益は年の吉凶の占いを作り、胡曹は衣服を作り、夷羿は弓を作り、祝融は市を作り、儀狄は酒を作り、高元は家屋を作り、虞姁は舟を作り、伯益は井戸を作り、赤冀は臼を作り、乗雅は車がけを作り、寒哀は馬の御し方を作り、王冰は牛を使う法を作り、史皇は図を作り、巫彭は医を作り、巫咸は占筮を作った。この二十の官すなわち技を司る者は、聖人が天下を治めるための手立てである。聖王はこの二十の官の仕事をみずからこなせるわけではない。それでいて二十の官にその技を尽くさせ、その能を出し切らせるのは、聖王が上にいるからである。聖王がみずからできないことこそ、かえってそれを成し遂げさせる手立てであり、みずから知らないことこそ、かえってそれを知り尽くさせる手立てなのである。おのれの精神を養い、その徳を修めれば、それだけで天下は感化される。どうして必ずしも身を疲れさせ心を悩ませ、耳目をすり減らす必要があろうか。だからこそ聖王の徳は、やわらかく溶けあうように、月が昇りはじめたようで、四方と天地をあまねく照らして行き詰まるところがなく、明らかなことは日の光のようで、万物を変化させてゆかぬところがない。その精神は宇宙の根源たる太一と一つになり、生きて窮するところなく、その思いは何ものにもふさがれず、その精は鬼神にまで通じ、奥深く玄妙で、その形は誰にも見えない。今、南面して君主の位につけば、あらゆる邪はおのずと正され、天下はみなその本来の姿に立ち返り、民はことごとくその志を楽しみ、その本性を安らかに育てて、なそうとして成らぬことがない。だからよく君主たる者は、生命本来のありようをつつしんで身につけ、そうすれば役人はすでに治まり、民はすでに親しみ、名分と称号はすでにはっきりと定まっているのである。
解説
この章句が説くこと
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