呂氏春秋 / 君守③
奚仲作車,蒼頡作書,后稷作稼,皋陶作刑,昆吾作陶,夏鯀作城,此六人者所作當矣,然而非主道者,故曰作者憂,因者平。惟彼君道,得命之情,故任天下而不彊,此之謂全人。
新字:奚仲作車,蒼頡作書,后稷作稼,皋陶作刑,昆吾作陶,夏鯀作城,此六人者所作当矣,然而非主道者,故曰作者憂,因者平。惟彼君道,得命之情,故任天下而不彊,此之謂全人。
書き下し
奚仲の車を作り、蒼頡の書を作り、后稷の稼を作り、皋陶の刑を作り、昆吾の陶を作り、夏鯀の城を作れる。此の六人の者は作る所當たる。然れども主道の者に非ず。故に曰く、「作す者は憂え、因る者は平らかなり。」惟だ彼の君道のみ、命の情を得。故に天下に任じて彊めず、此を之れ全人と謂う。
現代語訳
奚仲は車を作り、蒼頡は文字を作り、后稷は農耕を興し、皋陶は刑法を定め、昆吾は焼き物を作り、夏の鯀は城郭を築いた。この六人の作り出したものはみな理にかなっていた。だが彼らは君主の道を体現した者ではない。だから、みずから作り出す者は苦労し、人に因り任せる者は安らかである、という。ただあの君主の道だけが、生命のありのままの理を得ている。だから天下を臣下に任せて無理に努めず、これを全き人と呼ぶのである。
解説
この段は、車や文字・農耕・刑法など文明の利器を生み出した六人の名人を挙げつつ、彼らは有能でも君主の道ではないと位置づけます。みずから作り出す者は苦労が絶えず、人に因り任せる者こそ安らかだ、という対比が主題です。呂氏春秋は、君主の徳を発明や実務の才ではなく、生命本来の理にかなって無理をせず臣下に委ねる点に見いだし、これを全人と称えます。有能な実務家と、人を活かして全体を治める者とは役割が違うという発想は、優れたプレーヤーが必ずしも優れたマネジャーではないという現代の組織論の知見にも通じるものです。
この章句が説くこと
君守奚仲蒼頡因循全人作者と因者
関連する章句
-
説苑・君道斉の宣王、尹文に謂いて曰く、「人君の事は何如」と。尹文対えて曰く、「人君の事は、無為にして能く下を容る。夫れ事寡なければ従い易く、法省ければ因り易し、故に民は政を以て罪を獲ず。大道は衆を容れ、大徳は下を容れ、聖人は寡為にして天下理まる。書に曰く、『睿は聖を作す』と。詩人曰く、『岐に夷の行有り、子孫其れ之を保たん』と」と。宣王曰く、「善し」と。
-
論語・陽貨篇子曰く、飽食終日、心を用うる所無きは、難いかな。博弈なる者有らずや。之を為すは、猶お已むに賢れり。
-
論語・衛霊公篇孔子曰わく、無為にして治むる者は、その舜なるか。夫れ何をか為さん。己を恭しくして南面するのみ。
-
説苑・君道晋の平公、師曠に問いて曰く、「人君の道は如何」と。対えて曰く、「人君の道は、清浄無為、務めて博愛にあり、趨りて賢を任ずるにあり、広く耳目を開きて以て万方を察し、流俗に固溺せず、左右に拘繋せられず、廓然として遠く見、踔然として独立し、屡々考績を省みて、以て臣下に臨む。此れ人君の操なり」と。平公曰く、「善し」と。
-
老子・第37章道は常に無為にして而も為さざる無し。侯王若し能く之を守らば、万物は将に自ら化せんとす。化して作らんと欲すれば、吾れ将に之を鎮むるに無名の樸を以てせんとす。無名の樸は、夫れ亦た将に欲無からんとす。欲せずして以て静かなれば、天下は将に自ら定まらんとす。
-
『信心銘』第十四章智者(ちしゃ)は無為(むい)、愚人(ぐにん)は自(みづか)ら縛(しば)る。法(ほう)に異法(いほう)無(な)きに、妄(みだ)りに自(みづか)ら愛著(あいじゃく)す。心(しん)を將(も)って心(しん)を用(もち)ゐる、豈(あ)に大錯(だいしゃく)に非(あら)ずや。