呂氏春秋 / 愼人③
百里奚之未遇時也,亡虢而虜晉,飯牛於秦,傳鬻以五羊之皮。公孫枝得而說之,獻諸繆公,三日,請屬事焉。繆公曰:“買之五羊之皮而屬事焉,無乃天下笑乎?”公孫枝對曰:“信賢而任之,君之明也;讓賢而下之,臣之忠也;君為明君,臣為忠臣。彼信賢,境內將服,敵國且畏,夫誰暇笑哉?”繆公遂用之。謀無不當,舉必有功,非加賢也。使百里奚雖賢,無得繆公,必無此名矣。今焉知世之無百里奚哉?故人主之欲求士者,不可不務博也。
新字:百里奚之未遇時也,亡虢而虜晉,飯牛於秦,伝鬻以五羊之皮。公孫枝得而説之,献諸繆公,三日,請属事焉。繆公曰:“買之五羊之皮而属事焉,無乃天下笑乎?”公孫枝対曰:“信賢而任之,君之明也;譲賢而下之,臣之忠也;君為明君,臣為忠臣。彼信賢,境内将服,敵国且畏,夫誰暇笑哉?”繆公遂用之。謀無不当,舉必有功,非加賢也。使百里奚雖賢,無得繆公,必無此名矣。今焉知世之無百里奚哉?故人主之欲求士者,不可不務博也。
書き下し
百里奚の未だ時に遇わざるや、虢を亡げて晉に虜とせられ、牛を秦に飯わんとして、傳鬻するに五羊の皮を以てす。公孫枝、得て之を説び、諸を繆公に獻ず。三日にして、事を焉に屬せんことを請う。繆公曰く、「之を五羊の皮に買いて、事を焉に屬せば、乃ち天下の笑いとなること無からんか。」公孫枝對えて曰く、「賢を信じて之に任ずるは、君の明なり。賢に讓りて之に下るは、臣の忠なり。君は明君為り、臣は忠臣為り。彼信に賢なれば、境內將に服せんとし、敵國且に畏れんとす。夫れ誰か笑うに暇あらんや。」繆公遂に之を用う。謀れば當らざる無く、舉ぐれば必ず功有るも、賢を加えしに非ざるなり。百里奚をして賢なりと雖も、繆公を得ること無からしめば、必ず此の名無からん。今焉くんぞ世の百里奚の無きことを知らんや。故に人主の士を求めんと欲する者は、博を務めざる可からざるなり。
現代語訳
百里奚がまだ時機に遇わなかったころは、虢を逃れて晋に捕らえられ、秦で牛を飼おうとして、五枚の羊の皮と引き換えに身売りされた。公孫枝は彼を見出して喜び、繆公に薦めた。三日して政務を任せるよう願うと、繆公は「五枚の羊の皮で買った者に政務を任せては、天下の笑いものにならないか」と言った。公孫枝は答えた。「賢者と信じて任じるのは君の明察、賢者に譲って下につくのは臣の忠です。君は明君となり臣は忠臣となります。彼が本当に賢ければ国内は従い敵国は畏れます。誰が笑う暇がありましょう。」繆公はついに彼を用いた。謀れば的中しないことなく、事を挙げれば必ず功があったが、賢さが増したわけではない。もし百里奚が賢くても繆公に会えなければ、必ずこの名声はなかった。今、世に百里奚のような人がいないとどうして分かろう。だから君主で士を求めようとする者は、広く求めることに努めなければならない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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説苑・臣術秦の穆公賈人をして塩を載せしめ、諸賈人に征す。賈人百里奚を五羖羊の皮を以て買い、車を将いて之を秦に之かしむ。秦の穆公塩を観て、百里奚の牛肥ゆるを見て曰く、「任重く道遠くして以て険しきに、牛何を以て肥ゆるや」と。対えて曰く、「臣飲食するに時を以てし、之を使うに暴を以てせず。険有れば、先後するに身を以てす、是を以て肥ゆるなり」と。穆公其の君子なるを知り、有司をして其れ沐浴せしめ衣冠して与に坐せしむ。公大いに悦ぶ。異日公孫支と政を論じ、公孫支大いに寧からずして曰く、「君耳目聡明にして、思慮審察す、君其れ聖人を得たるか」と。公曰く、「然り、吾夫の奚の言を悦ぶ、彼聖人に類す」と。公孫支遂に帰りて鴈を取りて以て賀して曰く、「君社稷の聖臣を得たり、敢えて社稷の福を賀す」と。公辞せず、再拝して之を受く。明日、公孫支乃ち上卿を致して以て百里奚に譲りて曰く、「秦国処僻にして、民陋にして愚、危亡の本なり。臣自ら其の上に処るに足らざるを知る、請う之を譲らん」と。公許さず。公孫支曰く、「君賓相を用いずして社稷の聖臣を得たるは、君の禄なり。臣賢を見て之を譲るは、臣の禄なり。今君既に其の禄を得たり、而して臣をして禄を失わしむべけんや。請う終に之を致さん」と。公許さず。公孫支曰く、「臣不肖にして上位に処るは是れ君の倫を失うなり。不肖にして倫を失うは、臣の過ちなり。賢を進めて不肖を退くるは、君の明なり。今臣位に処り、君の徳を廃し臣の行いに逆らうなり、臣将に逃げんとす」と。公乃ち之を受く。故に百里奚上卿と為りて以て之を制し、公孫支次卿と為りて以て之を佐くるなり。
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史記 秦本紀繆公百里傒の賢なるを聞き、之を重贖せんと欲す、乃ち人をして楚に謂はしめて曰く、「吾が媵臣百里傒焉に在り、請ふ五羖羊皮を以て之を贖はん」と。楚人遂に許して之を与ふ。是の時に当たり、百里傒年已に七十餘なり。繆公其の囚を釈き、与に国事を語る。謝して曰く、「臣は亡国の臣なり、何ぞ問ふに足らん」と。繆公曰く、「虞君子を用ゐず、故に亡ぶ、子の罪に非ず」と。固く問ひ、語ること三日、繆公大いに説び、之に国政を授け、号して五羖大夫と曰ふ。
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呂氏春秋・不苟④秦の繆公、百里奚を相とす。晉は叔虎を使いとし、齊は東郭蹇を使いとし、秦に如かしむ。公孫枝、之を見んと請う。公曰く、「客を見るを請うは、子の事か。」對えて曰く、「非なり。」「相國、子を使しむるか。」對えて曰く、「不らざるなり。」公曰く、「然らば則ち子の事とするは子の事に非ざるなり。秦國は僻陋の戎夷、事、其の任に服し、人、其の事を事とするも、猶ほ諸侯の笑いと為らんことを懼る。今子、子の事に非ざるを為す。退け。將に而の罪を論ぜんとす。」公孫枝出でて、自ら百里氏に敷す。百里奚、之を請う。公曰く、「此れ相國に聞く所か。枝、罪無くば奚ぞ請わん。罪有らば奚ぞ請わん。」百里奚歸り、公孫枝に辭す。公孫枝徙りて、自ら街に敷す。百里奚、吏をして其の罪を行わしむ。分官を定むるは、此れ古人の法を為す所以なり。今、繆公、之に鄉う。其の西戎に覇たること、豈に宜ならずや。
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孟子・萬章章句上萬章問いて曰く、「或ひと曰く、『百里奚は自ら秦の牲を養う者に五羊の皮に鬻ぎ、牛を食いて、以て秦の繆公に要む』と。信なるか。」孟子曰く、「否、然らず。事を好む者は之を為すなり。百里奚は虞の人なり。晉人、垂棘の璧と屈Iの乘とを以て、道を虞に假りて以て虢を伐たんとす。宮之奇諫めて、百里奚諫めず。知虞公の諫む可からざるを知りて去り、秦に之く。年已に七十なり。曾ち牛を食うを以て、秦の穆公に干むるの汙為るを知らざるや、智と謂う可けんや。諫む可からずして諫めざるや、不智と謂う可けんや。虞公の將に亡びんとするを知りて先づ之を去るや、不智と謂う可けんや。時に秦に舉げられ、繆公の與に行う有る可きを知るや、之に相たるは、不智と謂う可けんや。秦に相として其の君を天下に顯わし、後世に傳う可きは、不賢にして之を能くせんや。自ら鬻ぎて以て其の君を成すは、ᰰ黨の自ら好する者も為さず。而るを賢者にして之を為すと謂わんや。」
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説苑・尊賢斉の景公孔子に問いて曰く、「秦の穆公は其の国小さく、僻に処りて霸たるは、何ぞや」と。対えて曰く、「其の国小にして志大なり、僻に処ると雖も其の政中り、其の挙果、其の謀和し、其の令偸ならず。親ら五羖大夫を係縲の中より挙げて、之と語ること三日にして之に政を授く。此を以て之を取れば、王たると雖も可なり、霸は則ち小なり」と。
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説苑・尊賢人君の天下を平治して栄名を垂れんと欲する者は、必ず賢を尊びて士に下る。易に曰く、「自上下下、其道大光」と。又曰く、「以貴下賤、大得民也」と。夫れ明王の徳を施して下下るや、将に遠きを懐けて近きを致さんとするなり。夫れ朝に賢人無きは、猶お鴻鵠の羽翼無きがごときなり、千里の望有りと雖も、猶お其の意の至らんと欲する所を致す能わず。是の故に江海に游ぶ者は船に託し、遠道を致す者は乗に託し、霸王たらんと欲する者は賢に託す。伊尹・呂尚・管夷吾・百里奚は、此れ霸王の船乗なり。父兄と子孫とを釈つるは、之を疏んずるに非ざるなり。庖人・釣屠と仇讎・僕虜とに任ずるは、之に阿るに非ざるなり。社稷を持し功名を立つるの道は、然らざるを得ざるなり。猶お大匠の宮室を為るがごときなり、小大を量りて材木を知り、功効を比べて人数を知る。是の故に呂尚聘せられて天下商の将に亡びんとするを知り、周の王たるなり。管夷吾・百里奚任ぜられて天下斉・秦の必ず霸たるを知るなり、豈に特に船乗のみならんや。夫れ王を成し霸たるは固より人有り、国を亡ぼし家を破るも亦た固より人有り。桀は于莘を用い、紂は悪来を用い、宋は唐鞅を用い、斉は蘇秦を用い、秦は趙高を用い、而して天下其の亡びんとするを知る。其の人に非ずして功有らんと欲するは、譬えば其れ夏至の日にして夜の長からんことを欲するがごとく、魚を射んとして天を指して其の発の当たらんことを欲するがごとし。舜・禹と雖も猶お亦た困しむ、而るを況んや俗主をや。