史記 / 秦本紀
繆公聞百里傒賢,欲重贖之,恐楚人不與,乃使人謂楚曰:「吾媵臣百里傒在焉,請以五羖羊皮贖之。楚人遂許與之。當是時,百里傒年已七十餘。繆公釋其囚,與語國事。謝曰:「臣亡國之臣,何足問!」繆公曰:「虞君不用子,故亡,非子罪也。」固問,語三日,繆公大說,授之國政,號曰五羖大夫。
新字:繆公聞百里傒賢,欲重贖之,恐楚人不与,乃使人謂楚曰:「吾媵臣百里傒在焉,請以五羖羊皮贖之。楚人遂許与之。当是時,百里傒年已七十余。繆公釈其囚,与語国事。謝曰:「臣亡国之臣,何足問!」繆公曰:「虞君不用子,故亡,非子罪也。」固問,語三日,繆公大説,授之国政,号曰五羖大夫。
書き下し
繆公百里傒の賢なるを聞き、之を重贖せんと欲す、乃ち人をして楚に謂はしめて曰く、「吾が媵臣百里傒焉に在り、請ふ五羖羊皮を以て之を贖はん」と。楚人遂に許して之を与ふ。是の時に当たり、百里傒年已に七十餘なり。繆公其の囚を釈き、与に国事を語る。謝して曰く、「臣は亡国の臣なり、何ぞ問ふに足らん」と。繆公曰く、「虞君子を用ゐず、故に亡ぶ、子の罪に非ず」と。固く問ひ、語ること三日、繆公大いに説び、之に国政を授け、号して五羖大夫と曰ふ。
現代語訳
繆公は百里傒が賢者だと聞き、高い代価を払って身柄を買い戻そうとした。そこで人をやって楚にこう言わせた。「我が国の嫁入りに付き添った臣・百里傒がそちらにいる。羊の黒い皮五枚と引き換えに、身柄を譲ってほしい」。楚の人はこれを承知して引き渡した。当時、百里傒はすでに七十を過ぎていた。繆公は彼の縄を解き、国事を語り合おうとした。百里傒は辞退して言った。「私は滅んだ国の臣です。何を問うに値しましょうか」。繆公は言った。「虞の君主があなたを用いなかったから滅んだのだ。あなたの罪ではない」。そして強く問い、三日にわたって語り合った。繆公は大いに喜び、彼に国政を任せ、五羖大夫と号させた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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呂氏春秋・愼人③百里奚の未だ時に遇わざるや、虢を亡げて晉に虜とせられ、牛を秦に飯わんとして、傳鬻するに五羊の皮を以てす。公孫枝、得て之を説び、諸を繆公に獻ず。三日にして、事を焉に屬せんことを請う。繆公曰く、「之を五羊の皮に買いて、事を焉に屬せば、乃ち天下の笑いとなること無からんか。」公孫枝對えて曰く、「賢を信じて之に任ずるは、君の明なり。賢に讓りて之に下るは、臣の忠なり。君は明君為り、臣は忠臣為り。彼信に賢なれば、境內將に服せんとし、敵國且に畏れんとす。夫れ誰か笑うに暇あらんや。」繆公遂に之を用う。謀れば當らざる無く、舉ぐれば必ず功有るも、賢を加えしに非ざるなり。百里奚をして賢なりと雖も、繆公を得ること無からしめば、必ず此の名無からん。今焉くんぞ世の百里奚の無きことを知らんや。故に人主の士を求めんと欲する者は、博を務めざる可からざるなり。
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説苑・臣術秦の穆公賈人をして塩を載せしめ、諸賈人に征す。賈人百里奚を五羖羊の皮を以て買い、車を将いて之を秦に之かしむ。秦の穆公塩を観て、百里奚の牛肥ゆるを見て曰く、「任重く道遠くして以て険しきに、牛何を以て肥ゆるや」と。対えて曰く、「臣飲食するに時を以てし、之を使うに暴を以てせず。険有れば、先後するに身を以てす、是を以て肥ゆるなり」と。穆公其の君子なるを知り、有司をして其れ沐浴せしめ衣冠して与に坐せしむ。公大いに悦ぶ。異日公孫支と政を論じ、公孫支大いに寧からずして曰く、「君耳目聡明にして、思慮審察す、君其れ聖人を得たるか」と。公曰く、「然り、吾夫の奚の言を悦ぶ、彼聖人に類す」と。公孫支遂に帰りて鴈を取りて以て賀して曰く、「君社稷の聖臣を得たり、敢えて社稷の福を賀す」と。公辞せず、再拝して之を受く。明日、公孫支乃ち上卿を致して以て百里奚に譲りて曰く、「秦国処僻にして、民陋にして愚、危亡の本なり。臣自ら其の上に処るに足らざるを知る、請う之を譲らん」と。公許さず。公孫支曰く、「君賓相を用いずして社稷の聖臣を得たるは、君の禄なり。臣賢を見て之を譲るは、臣の禄なり。今君既に其の禄を得たり、而して臣をして禄を失わしむべけんや。請う終に之を致さん」と。公許さず。公孫支曰く、「臣不肖にして上位に処るは是れ君の倫を失うなり。不肖にして倫を失うは、臣の過ちなり。賢を進めて不肖を退くるは、君の明なり。今臣位に処り、君の徳を廃し臣の行いに逆らうなり、臣将に逃げんとす」と。公乃ち之を受く。故に百里奚上卿と為りて以て之を制し、公孫支次卿と為りて以て之を佐くるなり。
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史記 秦本紀百里傒譲りて曰く、「臣は臣の友蹇叔に及ばず。蹇叔は賢にして世知る莫し。臣常に游びて斉に困しみ、食を銍人に乞ふ。蹇叔臣を収む。臣因りて斉君無知に事へんと欲す。蹇叔臣を止む。臣斉の難を脱るるを得て、遂に周に之く。周の王子穨牛を好む。臣牛を養ふを以て之に干む。穨臣を用ゐんと欲するに及び、蹇叔臣を止む。臣去りて、誅せられざるを得たり。虞君に事ふ。蹇叔臣を止む。臣虞君の臣を用ゐざるを知るも、臣誠に禄爵を私利し、且く留まる。再び其の言を用ゐて、脱るるを得、一たび用ゐずして、虞君の難に及ぶ。是を以て其の賢を知る」と。是に於て繆公人をして幣を厚くして蹇叔を迎へしめ、以て上大夫と為す。秋、繆公自ら将として晋を伐ち、河曲に戦ふ。晋の驪姫乱を作し、太子申生新城に死し、重耳・夷吾出奔す。九年、斉の桓公諸侯を葵丘に会す。晋の献公卒す。驪姫の子奚斉を立つ。其の臣里克奚斉を殺す。荀息卓子を立つ。克又卓子及び荀息を殺す。夷吾人をして秦に請はしめ、晋に入らんことを求む。是に於て繆公之を許し、百里傒をして兵を将ゐて夷吾を送らしむ。夷吾謂ひて曰く、「誠に立つを得ば、請ふ晋の河西の八城を割きて秦に与へん」と。至るに及び、已に立ちて、丕鄭をして秦に謝せしめ、約に背きて河西の城を与へず、而して里克を殺す。丕鄭之を聞き、恐れ、因りて繆公と謀りて曰く、「晋人夷吾を欲せず、実は重耳を欲す。今秦の約に背きて里克を殺すは、皆呂甥・郤芮の計なり。願はくは君利を以て急ぎ呂・郤を召せ。呂・郤至らば、則ち更めて重耳を入るること便ならん」と。繆公之を許し、人をして丕鄭と帰り、呂・郤を召さしむ。呂・郤等丕鄭に間有るを疑ひ、乃ち夷吾に言ひて丕鄭を殺す。丕鄭の子丕豹秦に奔り、繆公に説きて曰く、「晋君無道にして、百姓親しまず、伐つ可し」と。繆公曰く、「百姓苟も便ならずんば、何の故に能く其の大臣を誅せんや。能く其の大臣を誅す、此れ其の調ふなり」と。
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孔子家語・辯政公悅び、又た問いて曰わく、「秦の穆公、國小さく處僻なるも霸たり、何ぞや。」孔子曰わく、「其の國小なりと雖も其の志大に、處僻なりと雖も其の政中る。其の舉ぐるや果、其の謀るや和。法私無くして令愉ならず。首めて五羖を拔き、之を大夫に爵し、與に語ること三日にして之に政を授く。此れ之を取れば王たりと雖も可なり、其の霸たるは少きなり。」景公曰わく、「善いかな。」
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説苑・尊賢斉の景公孔子に問いて曰く、「秦の穆公は其の国小さく、僻に処りて霸たるは、何ぞや」と。対えて曰く、「其の国小にして志大なり、僻に処ると雖も其の政中り、其の挙果、其の謀和し、其の令偸ならず。親ら五羖大夫を係縲の中より挙げて、之と語ること三日にして之に政を授く。此を以て之を取れば、王たると雖も可なり、霸は則ち小なり」と。
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孟子・萬章章句上萬章問いて曰く、「或ひと曰く、『百里奚は自ら秦の牲を養う者に五羊の皮に鬻ぎ、牛を食いて、以て秦の繆公に要む』と。信なるか。」孟子曰く、「否、然らず。事を好む者は之を為すなり。百里奚は虞の人なり。晉人、垂棘の璧と屈Iの乘とを以て、道を虞に假りて以て虢を伐たんとす。宮之奇諫めて、百里奚諫めず。知虞公の諫む可からざるを知りて去り、秦に之く。年已に七十なり。曾ち牛を食うを以て、秦の穆公に干むるの汙為るを知らざるや、智と謂う可けんや。諫む可からずして諫めざるや、不智と謂う可けんや。虞公の將に亡びんとするを知りて先づ之を去るや、不智と謂う可けんや。時に秦に舉げられ、繆公の與に行う有る可きを知るや、之に相たるは、不智と謂う可けんや。秦に相として其の君を天下に顯わし、後世に傳う可きは、不賢にして之を能くせんや。自ら鬻ぎて以て其の君を成すは、鄉黨の自ら好する者も為さず。而るを賢者にして之を為すと謂わんや。」

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