呂氏春秋 / 介立①
以貴富有人易,以貧賤有人難。今晉文公出亡,周流天下,窮矣賤矣,而介子推不去,有以有之也。反國有萬乘,而介子推去之,無以有之也。能其難,不能其易,此文公之所以不王也。晉文公反國,介子推不肯受賞,自為賦詩曰:“有龍于飛,周遍天下。五蛇從之,為之丞輔。龍反其鄉,得其處所。四蛇從之,得其露雨。一蛇羞之,橋死於中野,懸書公門,而伏於山下。”文公聞之曰:“譆!此必介子推也。”避舍變服,令士庶人曰:“有能得介子推者,爵上卿,田百萬。”或遇之山中,負釜蓋簦,問焉曰:“請問介子推安在?”應之曰:“夫介子推苟不欲見而欲隱,吾獨焉知之?”遂背而行,終身不見。人心之不同,豈不甚哉?今世之逐利者,早朝晏退,焦脣乾嗌,日夜思之,猶未之能得,今得之而務疾逃之,介子推之離俗遠矣。
新字:以貴富有人易,以貧賤有人難。今晉文公出亡,周流天下,窮矣賤矣,而介子推不去,有以有之也。反国有万乗,而介子推去之,無以有之也。能其難,不能其易,此文公之所以不王也。晉文公反国,介子推不肯受賞,自為賦詩曰:“有竜于飛,周遍天下。五蛇従之,為之丞輔。竜反其鄉,得其処所。四蛇従之,得其露雨。一蛇羞之,橋死於中野,懸書公門,而伏於山下。”文公聞之曰:“譆!此必介子推也。”避舎変服,令士庶人曰:“有能得介子推者,爵上卿,田百万。”或遇之山中,負釜蓋簦,問焉曰:“請問介子推安在?”応之曰:“夫介子推苟不欲見而欲隠,吾独焉知之?”遂背而行,終身不見。人心之不同,豈不甚哉?今世之逐利者,早朝晏退,焦脣乾嗌,日夜思之,猶未之能得,今得之而務疾逃之,介子推之離俗遠矣。
書き下し
貴富を以て人を有するは易く、貧賤を以て人を有するは難し。今、晉の文公出亡し、天下を周流し、窮なり賤なり。而れども介子推の去らざるは、以て之を有する有ればなり。國に反りて萬乘を有す。而れども介子推の之を去るは、以て之を有する無ければなり。其の難きを能くするも、其の易きを能くせざるは、此れ文公の王たらざりし所以なり。晉の文公、國に反り、介子推、賞を受くるを肯ぜず、自ら為に詩を賦して曰く、「龍有り于に飛ばんとして、天下を周遍す。五蛇之に從い、之が丞輔を為す。龍其の鄉に反り、其の處所を得。四蛇之に從い、其の露雨を得たり。一蛇之を羞じ、中野に橋死す。」書を公門に懸けて、山下に伏る。文公之を聞きて曰く、「譆、此れ必ず介子推ならん。」舎を避け服を變じて、士庶人に令して曰く、「能く介子推を得る者有れば、上卿に爵し、田百萬。」或ひと之に山中に遇う。釜を負い簦を蓋う。焉に問いて曰く、「請い問う、介子推は安くにか在る。」之に應えて曰く、「夫れ介子推は苟くも見わるるを欲せずして隱れんと欲す、吾獨り焉ぞ之を知らん。」遂に背きて行き、終身見われず。人心の同じからざる、豈に甚だしからずや。今の世の利を逐う者は、早くに朝し晏くに退き、脣を焦がし嗌を乾かし、日夜之を思い、猶ほ未だ之れ得ること能わず。今之を得て務めて疾く之を逃る。介子推の俗を離るるや遠し。
現代語訳
富貴によって人を手元に置くのはたやすく、貧賤の身で人をつなぎとめるのは難しい。かつて晋の文公(重耳)は国を追われ亡命し、天下を放浪し、困窮し身分も落ちた。それでも介子推が離れなかったのは、離れないだけの理由(主君への忠)があったからだ。やがて文公が帰国して万乗の君主となると、介子推はその側を去った。とどまる理由がなくなったからだ。困難なとき(貧賤)に忠を尽くせても、たやすいとき(富貴)にはそれをしない――これが文公が真の王者になれなかった理由である。晋の文公が帰国したとき、介子推は恩賞を受けようとせず、自ら詩を作って言った、「龍がここに飛び立とうとして、天下をあまねく巡った。五匹の蛇がこれに従い、その補佐をした。龍は故郷に帰り、居場所を得た。四匹の蛇はこれに従い、その恵み(露雨)を受けた。だが一匹の蛇はそれを恥じ、野の中で枯れて死んだ」。この詩を宮門に掲げて、山の麓に隠れた。文公はこれを聞いて言った、「ああ、これは必ず介子推だ」。文公は正殿を避け服を改め、人々に命じて言った、「介子推を見つけられる者がいれば、上卿の位を与え、田を百万(与えよう)」。ある人が山中で介子推に出会った。彼は釜を背負い、笠をかぶっていた。その人が尋ねた、「お尋ねするが、介子推はどこにいるか」。介子推は答えた、「あの介子推は人に見られることを望まず隠れようとしているのに、私一人がどうしてその居場所を知ろうか」。そう言って背を向けて去り、生涯人前に現れなかった。人の心の違いは、なんとはなはだしいことか。今の世の利を追う者は、朝早く出仕し夜遅く退き、唇を焦がし喉を乾かして、日夜利益を思っても、なお得られない。ところが介子推は、爵禄を得られる立場になると、努めて急いで逃げ去った。介子推が俗世を離れていることの、なんと隔たりの大きいことか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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説苑・立節晋の献公の時、士有り、狐突と曰う。太子申生に傅たり。公驪姫を立てて夫人と為し、国憂い多し。狐突疾と称して出でず。六年、献公譖を以て太子を誅す。太子将に死せんとし、人をして狐突に謂わしめて曰わく、「吾が君老いたり、国家難多し。傅一たび出でて以て吾が君を輔けよ。申生賜を受けて以て死すとも恨みず」と。再拝稽首して死す。狐突乃ち復た献公に事う。三年、献公卒す。狐突諸大夫に辞して曰わく、「突太子の詔を受く。今事終われり。其の久しく乱世に生くるよりは、死して太子に報ゆるに若かず」と。乃ち帰りて自殺す。
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説苑・立節楚の平王、奮揚をして太子建を殺さしむ。未だ至らざるに之を遣る。太子宋に奔る。王奮揚を召し、城父の人をして之を執えて以て至らしむ。王曰わく、「言予が口より出でて、爾が耳に入る、誰か建に告げしや」と。対えて曰わく、臣之に告げたり。王初め臣に命じて曰わく、「建に事うること予に事うるが如くせよ」と。臣佞ならず、貳する能わず。初めを奉じて以て還り、故に之を遣る。已にして之を悔ゆるも、亦及ぶ無し、と。王曰わく、「而敢えて来たるは、何ぞや」と。対えて曰わく、「使いして命を失えば、召されて来たらず、是れ過を重ぬるなり。逃るるも入る所無し」と。王乃ち之を赦す。
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葉隠・聞書第二御位牌(ごいはい)釈迦堂より御移しなされ候を、何某(なにがし)見附け候て、申し達すべきやと、相談申され候に付て、「尤もの事に候。斯様(かよう)の儀は御無用に候。然れども仰せ達せらるる儀は御存じ寄り候人、今時、御手前ならではこれなき事に候。斯様の儀は御存じ寄り候て、申し達すべきやと、相談申され、御手前御外聞(ごがいぶん)よくなり申す事に候。若し相済まざる時は、いよいよ宜しからざる儀と取沙汰仕り、御手前御外聞ばかりよく候。悪事は我が身にかぶり申すこそ当介(とうかい)にて候。今の如くして先づ召し置かれ候時は、誰ぞ気の附き申す者もこれなく、何の沙汰もなく相済み申す事に候。さ候て、何時ぞ、時節次第沙汰なしに、元の如く御直り候様に致す様これあるべく候。」と申し候て、差し留め置き申し候。斯様の事にて、上の御不調法、世間に知れ申す事これある儀に候。心を附け罷り在り候へば、しかと、よき時節がふり来るものに候。大方、悪事は内輪から言い崩すもの、親子兄弟入魂(じっこん)の間などは格別と存じ、隠密沙汰なしなどと申し候て話し候へば、やがてひろがり、後に自国他国日本国に洩れ聞え申す事、間もなきものに候。又下人あたり其の外、内証(ないしょう)にて仕方悪しき人は、やがて世上に悪名唱え申し候。内輪ほど慎み申すべき事なり。