呂氏春秋 / 先己②
昔者先聖王,成其身而天下成,治其身而天下治。故善響者不於響於聲,善影者不於影於形,為天下者不於天下於身。《詩》曰:「淑人君子,其儀不忒。其儀不忒,正是四國」,言正諸身也。故反其道而身善矣;行義則人善矣;樂備君道,而百官已治矣,萬民已利矣。三者之成也,在於無為。無為之道曰勝天,義曰利身,君曰勿身。勿身督聽,利身平靜,勝天順性。順性則聰明壽長,平靜則業進樂鄉,督聽則姦塞不皇。故上失其道則邊侵於敵,內失其行,名聲墮於外。是故百仞之松,本傷於下,而末槁於上;商、周之國,謀失於胸,令困於彼。故心得而聽得,聽得而事得,事得而功名得。五帝先道而後德,故德莫盛焉;三王先教而後殺,故事莫功焉;五伯先事而後兵,故兵莫(疆)〔彊〕焉。當今之世,巧謀並行,詐術(𨔛)〔遞〕用,攻戰不休,亡國辱主愈眾,所事者末也。
新字:昔者先聖王,成其身而天下成,治其身而天下治。故善響者不於響於声,善影者不於影於形,為天下者不於天下於身。《詩》曰:「淑人君子,其儀不忒。其儀不忒,正是四国」,言正諸身也。故反其道而身善矣;行義則人善矣;楽備君道,而百官已治矣,万民已利矣。三者之成也,在於無為。無為之道曰勝天,義曰利身,君曰勿身。勿身督聴,利身平静,勝天順性。順性則聰明寿長,平静則業進楽鄉,督聴則姦塞不皇。故上失其道則辺侵於敵,內失其行,名声堕於外。是故百仞之松,本傷於下,而末槁於上;商、周之国,謀失於胸,令困於彼。故心得而聴得,聴得而事得,事得而功名得。五帝先道而後徳,故徳莫盛焉;三王先教而後殺,故事莫功焉;五伯先事而後兵,故兵莫(疆)〔彊〕焉。当今之世,巧謀並行,詐術(𨔛)〔逓〕用,攻戦不休,亡国辱主愈眾,所事者末也。
書き下し
昔者、先聖王は、其の身を成して天下成り、其の身を治めて天下治まれり。故に善く響かせる者は、響に於いてせずして聲に於いてし、善く影つくる者は、影に於いてせずして形に於いてす。天下を為むる者は、天下に於いてせずして身に於いてす。詩に曰く、「淑人君子、其の儀忒わず。其の儀忒わずして、是の四國を正す。」諸を身に正しうするを言うなり。故に其の道に反れば而ち身善く、義を行えば則ち人善く、君道を備うることを樂しめば、而ち百官已に治まり、萬民已に利あり。三者の成るは、無為に在り。無為の道をば天に勝すと曰い、義をば身を利すと曰い、君をば身にすること勿しと曰う。身にすること勿ければ督しく聽き、身を利すれば平靜、天に勝せば性に順う。性に順えば則ち聰明にして壽長く、平靜なれば則ち業進みて嚮かうことを樂しみ、督しく聽けば則ち姦塞がり皇わず。故に上、其の道を失えば、則ち邊は敵に侵され、內は其の行いを失い、名聲外に墮つ。是の故に百仞の松も、本、下に傷つけば、末、上に槁る。商・周の國、謀、胸に失い、令、彼に困しめり。故に心得て聽くこと得、聽くこと得て事得、事得て功名得。五帝は道を先にして徳を後にす。故に德、焉より盛んなるは莫し。三王は教を先にして殺を後にす。故に事、焉より功あるは莫し。五伯は事を先にして兵を後にす。故に兵、焉より彊きは莫し。當今の世、巧謀並びに行われ、詐術遞いに用いられ、攻戰休まず、亡國辱主愈々衆し。事とする所の者、末なればなり。
現代語訳
昔の聖王は、我が身を完成させて天下が完成し、我が身を治めて天下が治まった。だから、よい響きを得ようとする者は響きそのものでなく声を整え、よい影を得ようとする者は影でなく形を整える。天下を治める者も、天下そのものでなく我が身を整えるのだ。『詩経』に「善き人、君子は、その振る舞いに狂いがない。振る舞いに狂いがないから、四方の国を正す」とあるのは、我が身を正すことを言っている。だから道に立ち返れば身が善くなり、義を行えば人が善くなり、君主の道を全うすることを楽しめば百官は治まり万民は潤う。この三つが成るのは無為にある。無為の道は天(自然)にゆだねること、義は民の身を利すること、君の道はわが身のためにしないことである。わが身のためにしなければ正しく人の言を聴け、民を利すれば心は平静になり、天にゆだねれば本性に従える。本性に従えば聡明で長寿となり、平静なら事業が進んで前進することを楽しめ、正しく聴けば奸邪はふさがって惑わされない。だから上に立つ者が道を失えば、辺境は敵に侵され、内では行いを失い、名声は外で地に落ちる。それゆえ百仞の高さの松も、根元が下で傷つけば、枝葉は上で枯れる。(滅んだ)商や周の国も、はかりごとが内で誤り、命令が外で行き詰まったのだ。だから心が正しく得られてこそ正しく聴け、正しく聴けてこそ事が成り、事が成ってこそ功名が得られる。五帝は道を先に徳を後にしたから、徳がこの上なく盛んだった。三王は教えを先に刑罰を後にしたから、事業がこの上なく成功した。五伯(覇者)は政事を先に武力を後にしたから、兵がこの上なく強かった。今の世は巧妙なはかりごとが横行し、詐術が代わる代わる用いられ、戦争が絶えず、亡ぶ国・辱められる君主がますます増えている。それは根本でなく末端に力を注いでいるからだ。
解説
この章句が説くこと
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