了凡四訓 / 積善之方・己の長を以て人を蓋ふ勿かれ
吾輩處末世,勿以己之長而蓋人;勿以己之善而形人;勿以己之多能而困人。收斂才智,若無若虛;見人過失,且涵容而掩覆之。一則令其可改,一則令其有所顧忌而不敢縱,見人有微長可取,小善可錄,翻然捨己而從之;且為豔稱而廣述之。凡日用間,發一言,行一事,全不為自己起念,全是為物立則;此大人天下為公之度也。
新字:吾輩処末世,勿以己之長而蓋人;勿以己之善而形人;勿以己之多能而困人。収斂才智,若無若虚;見人過失,且涵容而掩覆之。一則令其可改,一則令其有所顧忌而不敢縦,見人有微長可取,小善可録,翻然捨己而従之;且為艶称而広述之。凡日用間,発一言,行一事,全不為自己起念,全是為物立則;此大人天下為公之度也。
書き下し
吾輩末世に處りては、己の長を以て人を蓋ふ勿かれ。己の善を以て人を形はす勿かれ。己の多能を以て人を困しむる勿かれ。才智を收斂して、無きが若く虛しきが若くせよ。人の過失を見ては、且く涵容して之を掩覆せよ。一は則ち其をして改むべからしめ、一は則ち其をして顧忌する所有りて敢へて縱にせざらしむ。人に微長の取るべき、小善の錄すべき有るを見ては、翻然として己を捨てて之に從ひ、且つ為に豔稱して廣く之を述べよ。凡そ日用の間、一言を發し、一事を行ふに、全く自己の為に念を起さず、全く是れ物の為に則を立つ。此れ大人の天下を公と為すの度なり。
現代語訳
私たちは末の世に生きているのですから、自分の長所で人を覆い隠してはなりません。自分の善で人を見劣りさせてはなりません。自分の多才で人を困らせてはなりません。才知を内にしまって、無いかのように、空っぽであるかのようにしなさい。人の過ちを見たら、ひとまず包み込んで覆い隠してあげなさい。そうすれば、一つには相手が改めることができ、一つには相手が気がねをして、勝手なことをしなくなります。人にわずかでも取るべき長所や、書き留めるべき小さな善があるのを見たら、さっと自分を捨ててそれに従い、しかもそれを大いにほめたたえて広く語り伝えなさい。およそ日常の中で、一言を発し、一事を行うにも、まったく自分のためという思いを起こさず、すべて人々のための手本を立てるつもりで行うのです。これが、天下を公のものとする大人物の度量です。
解説

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