論語 / 憲問篇
或問子產,子曰:「惠人也。」問子西。曰:「彼哉彼哉!」問管仲。曰:「人也,奪伯氏騈邑三百,飯疏食,沒齒,無怨言。」
新字:或問子産,子曰:「恵人也。」問子西。曰:「彼哉彼哉!」問管仲。曰:「人也,奪伯氏騈邑三百,飯疏食,没歯,無怨言。」
書き下し
或るひと子産を問う。子曰く、「恵人なり。」子西を問う。曰く、「彼をや、彼をや。」管仲を問う。曰く、「人なり。伯氏の騈邑三百を奪い、疏食を飯らいて、歯を沒するまで、怨言無し。」
現代語訳
ある人が子産についてお尋ねした。先生がおっしゃった。「恵み深い人だ。」子西についてお尋ねした。(先生が)おっしゃった。「あの人か、あの人か。」管仲についてお尋ねした。(先生が)おっしゃった。「(あれこそ)人物だ。伯氏の領地の駢邑三百戸を取り上げたが、(伯氏は)粗末な食事をしながら、生涯恨みごとを言わなかった。」
解説
三人への評価が、長さも熱量も違う。子産は一言で肯定、子西は言葉を濁して事実上の低評価、管仲は具体例を挙げて評価した。とくに管仲の評価の仕方が独特である。管仲自身の功績ではなく、領地を取り上げられた側が生涯怨まなかったという事実を挙げた。処分された相手が納得している、という一点で人物を測っている。これは実務的な評価軸として鋭い。人事や処分の妥当性は、決めた側の説明では測れない。不利益を受けた側がどう受け止めたかに現れる。減給や降格を受けた人が、その後も組織を悪く言わないなら、その処分には筋が通っていた。逆に、処分された人が怨みを残すなら、内容が正しくても伝え方か手続きに問題があった。
この章句が説くこと
人物評管仲処分納得子産
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史記 斉太公世家四十一年、秦の穆公、晋の恵公を虜にし、復た之を帰す。是の歳、管仲・隰朋皆卒す。管仲病む。桓公問ひて曰く、「群臣誰か相たる可き者ぞ」と。管仲曰く、「臣を知るは君に如くは莫し」と。公曰く、「易牙は如何」と。対へて曰く、「子を殺して以て君に適ふ、人情に非ず、不可なり」と。公曰く、「開方は如何」と。対へて曰く、「親に倍きて以て君に適ふ、人情に非ず、近づけ難し」と。公曰く、「豎刀は如何」と。対へて曰く、「自ら宮して以て君に適ふ、人情に非ず、親しみ難し」と。管仲死す。而して桓公は管仲の言を用ひず、卒に近づけて三子を用ふ。三子権を専らにす。四十二年、戎、周を伐つ。周、急を斉に告ぐ。斉、諸侯をして各々卒を発して周を戍らしむ。是の歳、晋の公子重耳来る。桓公之に妻はす。四十三年。初め、斉の桓公の夫人三あり。王姫・徐姫・蔡姫と曰ひ、皆子無し。桓公内を好み、内寵多く、夫人の如き者六人。長衛姫は無詭を生み、少衛姫は恵公元を生み、鄭姫は孝公昭を生み、葛嬴は昭公潘を生み、密姫は懿公商人を生み、宋華子は公子雍を生む。桓公、管仲と孝公を宋の襄公に属し、以て太子と為す。雍巫、衛の共姫に寵有り、宦者豎刀に因りて以て厚く桓公に献じ、亦寵有り。桓公之に無詭を立つるを許す。管仲卒し、五公子皆立たんことを求む。冬十月乙亥、斉の桓公卒す。易牙入り、豎刀と内寵に因りて群吏を殺し、而して公子無詭を立てて君と為す。太子昭、宋に奔る。
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十八史略・『十八史略』斉・桓公(管仲の遺言)・管仲の遺言と側近の選び方仲病む。桓公、群臣の誰か相とすべきを問う。易牙は何如と。仲曰く、「子を殺して以て君に食らわしむ。人情に非ず。近づくべからず」と。開方は何如と。曰く、「親に倍きて以て君に適く。人情に非ず。近づくべからず」と。豎刁は何如と。曰く、「自ら宮して以て君に適く。人情に非ず。近づくべからず」と。仲死し、公、仲の言を用いず。三子、権を専らにす。公の内寵、夫人の如き者六、皆な子有り。公薨じ、五公子立つを争いて相攻む。公の尸、床に在りて殯斂する者無きこと六十七日、尸の蟲、戸より出づ。
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孔子家語・致思子路孔子に問いて曰わく、「管仲の人と為り何如。」 子曰わく、「仁なり。」 子路曰わく、「昔管仲襄公に説くも、公受けず、是れ辯ならざるなり。公子糾を立てんと欲するも能わず、是れ智ならざるなり。家斉に残わるるも、憂色無し、是れ慈ならざるなり。桎梏せられて檻車に居るも、慚づる心無し、是れ醜無きなり。射る所の君に事う、是れ貞ならざるなり。召忽之に死し、管仲死せず、是れ忠ならざるなり。仁人の道、固より是くの若きか。」 孔子曰わく、「管仲襄公に説くも、襄公受けざるは、公の闇きなり。子糾を立てんと欲するも能わざるは、時に遇わざるなり。家斉に残わるるも憂色無きは、是れ権命を知ればなり。桎梏せられて慚づる心無きは、自ら裁くこと審らかなればなり。射る所の君に事うるは、変に通ずればなり。子糾に死せざるは、軽重を量ればなり。夫れ子糾未だ君と成らず、管仲未だ臣と成らず。管仲は義を才度し、管仲束縛に死せずして功名を立つるは、未だ非とす可からざるなり。召忽死すと雖も、過ちて仁を取る、未だ多しとするに足らざるなり。」
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