師導古典を学びたいすべての人に

列子 / 力命篇

然則管夷吾非薄鮑叔也、不得不薄、非厚隰朋也、不得不厚。厚之於始、或薄之於終、薄之於終、或厚之於始。厚薄之去來、弗由我也。

新字:然則管夷吾非薄鮑叔也、不得不薄、非厚隰朋也、不得不厚。厚之於始、或薄之於終、薄之於終、或厚之於始。厚薄之去来、弗由我也。

書き下し

然らば則ち管夷吾は鮑叔に薄きに非ざるなり、薄からざるを得ざるなり。隰朋に厚きに非ざるなり、厚からざるを得ざるなり。之を始めに厚くして、或いは之を終わりに薄くし、之を終わりに薄くして、或いは之を始めに厚くす。厚薄の去來は、我に由らざるなり。

現代語訳

とすれば、管夷吾は鮑叔に薄情だったのではない。薄情にならずにいられなかったのだ。隰朋に厚くしたのでもない。厚くせずにいられなかったのだ。始めに厚くしておいて、終わりに薄くすることもあり、終わりに薄くしておいて、始めに厚くしていたこともある。厚い薄いの行き来は、私によるものではない。

解説

管仲が恩人を外したことを、薄情だとも英断だとも呼びません。そうせずにいられなかった、と置くだけです。そして「厚薄の去來は、我に由らざるなり」で締める。この結びは、恩義の重さを消すためのものではありません。むしろ逆で、恩義と判断を同じ軸で計算しようとすると必ず壊れる、という指摘です。恩人を外すのは薄情か、それとも正しい判断か。この問いに答えは出ません。答えを出そうとするから、恩義を理由に不適格な人を置いたり、逆に恩義を切り捨てた自分を責めたりする。列子はその問い自体を降ろしました。

この章句が説くこと

薄からざるを得ざるなり厚からざるを得ざるなり厚薄の去来は我に由らざるなり人材登用

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる