列子 / 湯問篇
紀昌既盡衛之術、計天下之敵己者、一人而已、乃謀殺飛衛。相遇於野、二人交射、中路矢鋒相觸、而墜於地、而塵不揚。飛衛之矢先窮、紀昌遺一矢。既發、飛衛以棘刺之端扞之、而無差焉。於是二子泣而投弓、相拜於塗、請爲父子、尅臂以誓、不得告術於人。
新字:紀昌既尽衛之術、計天下之敵己者、一人而已、乃謀殺飛衛。相遇於野、二人交射、中路矢鋒相触、而墜於地、而塵不揚。飛衛之矢先窮、紀昌遺一矢。既発、飛衛以棘刺之端扞之、而無差焉。於是二子泣而投弓、相拝於塗、請為父子、尅臂以誓、不得告術於人。
書き下し
紀昌既に衛の術を盡くし、天下の己に敵する者を計るに、一人のみ。乃ち飛衛を殺さんと謀る。野に相い遇い、二人交々射る。中路に矢鋒相い觸れて、地に墜つるも、塵揚がらず。飛衛の矢先ず窮まり、紀昌に一矢を遺す。既に發するに、飛衛棘の刺の端を以て之を扞ぎ、差う無し。是に於いて二子泣きて弓を投じ、相い塗に拜し、父子と爲らんことを請う。臂を尅して以て誓い、術を人に告げざらしむ。
現代語訳
紀昌は飛衛の術をすべて修めたあと、天下で自分に匹敵する者を数えてみると、ただ一人だけであった。そこで飛衛を殺そうと謀った。野原で行き会い、二人は互いに射合った。矢は中ほどで鏃と鏃が触れ合い、地に落ちたが、塵も立たなかった。飛衛の矢が先に尽き、紀昌にはまだ一本残っていた。それを放つと、飛衛は茨の棘の先でそれを受け止め、寸分の狂いもなかった。そこで二人は泣いて弓を投げ捨て、道の上で互いに拝し、父子となることを願った。腕を切って誓い、この術を人に伝えないことにした。
解説
五年かけて育てた弟子が、師を殺しに来る。理由は「自分に匹敵する者が一人だけだから」でした。恨みではなく、順位の問題です。そして立ち合いの結果、飛衛は茨の棘一本で受け止めた。師のほうがまだ上だった。ここで二人は泣いて弓を捨て、父子の誓いを立て、術を人に伝えないと約束します。技を伝えないという結論が重い。これほどの技は、伝えれば必ず同じ争いを生む、と二人は判断したのでしょう。師弟が競合になる構造は、いまも変わりません。伸びた弟子が独立して、同じ市場で戦う。その先に何を置くかを、この話は考えさせます。
この章句が説くこと
天下の己に敵する者を計るに一人のみ矢鋒相い触れて塵揚がらず父子と為らんことを請う
関連する章句
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