列子 / 仲尼篇
公儀伯以力聞諸侯、堂谿公言之於周宣王、王備禮以聘之。公儀伯至、觀形、懦夫也。宣王心惑而疑曰:「女之力何如?」公儀伯曰:「臣之力能折春螽之股、堪秋蟬之翼。」王作色曰:「吾之力能裂犀兕之革、曳九牛之尾、猶憾其弱。女折春螽之股、堪秋蟬之翼、而力聞天下、何也?」
新字:公儀伯以力聞諸侯、堂谿公言之於周宣王、王備礼以聘之。公儀伯至、観形、懦夫也。宣王心惑而疑曰:「女之力何如?」公儀伯曰:「臣之力能折春螽之股、堪秋蟬之翼。」王作色曰:「吾之力能裂犀兕之革、曳九牛之尾、猶憾其弱。女折春螽之股、堪秋蟬之翼、而力聞天下、何也?」
書き下し
公儀伯力を以て諸侯に聞こゆ。堂谿公之を周の宣王に言う。王禮を備えて以て之を聘す。公儀伯至るに、形を觀れば、懦夫なり。宣王心惑いて疑いて曰く、女の力は何如、と。公儀伯曰く、臣の力は能く春螽の股を折り、秋蟬の翼に堪う、と。王色を作して曰く、吾の力は能く犀兕の革を裂き、九牛の尾を曳く。猶お其の弱きを憾む。女は春螽の股を折り、秋蟬の翼に堪うるのみにして、力天下に聞こゆ。何ぞや、と。
現代語訳
公儀伯は力の強さで諸侯に名を知られていた。堂谿公がそのことを周の宣王に伝え、王は礼を尽くして彼を招いた。公儀伯が到着し、その姿を見ると、弱々しい男である。宣王は戸惑い、いぶかしんで言った。「そなたの力はどれほどか」。公儀伯は言った。「私の力は、春のいなごの脚を折り、秋の蝉の羽を持ち上げられる程度です」。王は色をなして言った。「わしの力は、犀の革を引き裂き、九頭の牛の尾を引っぱれる。それでもまだ弱いと思っている。そなたはいなごの脚を折り、蝉の羽を持ち上げるだけで、力が天下に聞こえている。どういうわけだ」。
解説
評判の力持ちが、見るからに弱々しく、しかも自分から「いなごの脚を折れる程度」と言う。王が怒るのも無理はありません。ここで注目すべきは、公儀伯が誇張も謙遜もせず、事実を述べていることです。自分の身体的な力について、正確に申告した。ふつう人は、期待に応えようとして少し盛るか、謙遜して少し落とすかします。彼はどちらもしていない。そして王が「なぜ天下に名が聞こえるのか」と問うたことで、話は力そのものから、名声がどう生まれるかへ移ります。次の段で明かされる理由は、王の期待とはまったく違う方向にあります。
この章句が説くこと
形を観れば懦夫なり春螽の股を折り秋蟬の翼に堪う力天下に聞こゆ何ぞや人材登用
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