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列子 / 仲尼篇

雖然、吾得之矣。夫樂而知者、非古人之所謂樂知也。無樂無知、是真樂真知、故無所不樂、無所不知、無所不憂、無所不爲。《詩》《書》、禮樂、何棄之有?革之何爲?」顏回北面拜手曰:「回亦得之矣。」出告子貢。子貢茫然自失、歸家淫思七日、不寢不食、以至骨立。顏回重往喻之、乃反丘門、弦歌誦書、終身不輟。

新字:雖然、吾得之矣。夫楽而知者、非古人之所謂楽知也。無楽無知、是真楽真知、故無所不楽、無所不知、無所不憂、無所不為。《詩》《書》、礼楽、何棄之有?革之何為?」顏回北面拝手曰:「回亦得之矣。」出告子貢。子貢茫然自失、帰家淫思七日、不寝不食、以至骨立。顏回重往喻之、乃反丘門、弦歌誦書、終身不輟。

書き下し

然りと雖も、吾之を得たり。夫れ樂しみて知る者は、古人の所謂樂知に非ざるなり。樂しみ無く知ること無き、是れ真の樂・真の知なり。故に樂しまざる所無く、知らざる所無く、憂えざる所無く、爲さざる所無し。詩・書・禮樂、何ぞ之を棄つること有らん。之を革めて何をか爲さん、と。顏回北面して拜手して曰く、回も亦た之を得たり、と。出でて子貢に告ぐ。子貢茫然として自失し、家に歸りて淫思すること七日、寢ねず食わず、以て骨立するに至る。顏回重ねて往きて之を喻す。乃ち丘門に反り、弦歌誦書して、終身輟まず。

現代語訳

「とはいえ、私はそれを得た。そもそも楽しみながら知るというのは、昔の人が言った楽しみや知ではない。楽しみもなく知ることもない、それこそが真の楽しみであり真の知である。だから楽しまないところがなく、知らないところがなく、憂えないところがなく、しないところがない。詩・書・礼・楽を、どうして捨てることがあろう。改めて何をしようというのか」。顔回は北を向いて手を合わせて拝し、「私もそれを得ました」と言った。部屋を出て子貢に伝えた。子貢はぼんやりと放心し、家に帰って七日間思いつめ、眠らず食べず、骨と皮になるまでになった。顔回が重ねて出向いて説き諭した。そこでようやく孔子の門に戻り、生涯、琴を弾き歌い書を読むことをやめなかった。

解説

孔子の結論は、詩書礼楽を捨てないという地点に戻ってきます。救わないと知り、改める方法も知らない。それでも捨てない。楽しみも知も無くしたところで、あらためて全部が肯定される、という循環です。理屈としては飛躍がありますが、この段の値打ちは最後の描写にあります。同じ話を聞いた顔回はその場で受け取り、子貢は七日間眠らず食べず、骨と皮になった。そして立ち直ってから、生涯やめなかった。分かるのが速い人と、身体を壊すほど苦しんでから分かる人がいる。後者を「遅い」と評価するのは間違いだと、この結びが示しています。生涯やめなかったのは、苦しんだほうでした。

この章句が説くこと

楽しみ無く知ること無きは真の楽真の知憂えざる所無く為さざる所無し淫思すること七日骨立するに至る逆境

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